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 GoToトラベルキャンペーン一時停止(2020.12.28〜2021.01.11)
新型コロナ感染者の増加が続いている。

29日の東京株式市場は、景気回復への期待感から幅広い銘柄が買われて大幅に続伸した。
日経平均
株価の終値は前日比714円12銭高の2万7568円15銭。バブル崩壊後の高値を更新し、1990年8月以来30年4カ月ぶりの水準だった

今年はマーケットが
新型コロナに翻弄(ほんろう)された1年となりました。今年の日経平均株価は、2月に中国で感染が拡大すると急落。
3月には今年の最安値となる1万6000円台を付けました。
その後は
緊急事態宣言が解除されると徐々に回復し、11月にワクチンの有効性が発表されると一気に急上昇しました。
上昇は続き、今月29日はバブル期以来となる30年4カ月ぶりの高値となりました。30日午前は利益を確定する売りも出て値下がりしています。

 娘から尊敬する人は?と尋ねられ
昨年亡くなられた「中村哲」さんの事を思い出しました。
素晴らしい方だと。

アフガニスタン
東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで2019.12月4日朝、
同国で
人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で、医師の中村哲さん(73)の
乗った車が何者かに銃撃された。州政府によると、中村さんや運転手ら計6人が死亡した。


アフガニスタンで銃撃されて亡くなったペシャワール会福岡市)の現地代表、
中村哲さん(73)が医療から灌漑(かんがい)・農業支援へと活動を広げたのは、
アフガンを大
干ばつが襲い、農地が砂漠化するのを目の当たりにしたからだ。
病気の背景には食料不足と栄養失調があると考えて「100の診療所より、1本の用水路を」と、
2003年からアフガン東部で用水路の建設に着手した。これまで約27キロが開通。
用水路は
福岡市の面積のほぼ半分に当たる1万6500ヘクタールを潤し、砂漠に緑地を回復させた。今、農民65万人の暮らしを支えている。

初めて取材したのは2001年の米同時多発テロ後、アフガン情勢が緊迫し、日本へ一時帰国した際だった。
以来、繰り返しインタビューをさせてもらった。
活動のきっかけに話が及ぶと、いつもはにかみながらこう言った。「最初から貧しい人を助けようと思っていたわけではありません」

「合言葉は『100の診療所より1本の用水路』」――。記事の後半で、中村哲医師が残した言葉を紹介します。

中村さんが医師でありながら井戸掘りに、さらには用水路建設に乗り出したのは2000年以降。
アフガンが大干ばつに見舞われたからだった。
「飢えと渇きは薬では治せない」「100の診療所より1本の用水路を」といった言葉を挙げ、
「日本にも世界にも良心的な医者はたくさんいるが、『干ばつだから井戸を、自分たちで率先して』という医者はいない」とたたえた。

 追悼の会は、熊本から中村さんを支援してきた「ペシャワール会熊本連絡会」が主催。
連絡会の柴田堅一郎会長も中村さんとの思い出を語った。
柴田さんは、中村さんとは九州大医学部時代の同級生。
中村さんは熊本を何度も訪れ、アフガンで用水路を建設する際には加藤清正の治水の足跡を見学した、と明かした。