2016,06,07, Tuesday
東日本大震災、そしてそれに伴う福島第一原発事故は、やっぱり大変な衝撃だった。いまさら、と言われてしまうかもしれないけれど、それは本当に大きな転換をもたらせたのだなと、ここでの生活を振り返って、そう思います。
僕たちが家族で移住してきて、もう7年余りになります。あの震災よりも前のことです。 出身地の東京を離れ、因果を意識しすぎる生活を解放して、自分の生き様や暮らしが、そういったものを包み込んでいる時間や空間として表彰してくるようなイメージを持って、それを“まちつくり”としてやっていきたいと思ってのことでした。でも、時代や環境に対して、まだ確信は持っていませんでした。そうに違いはないけど、まだ予感でしかなかったし、立証する必要性も感じていなかった。 でも、ガラリと変わった。震災後、距離を置こうと決めたあの社会に向けて、はっきり、もっと強い意志を持って、世の中が動き出したと感じられる。そして、それを批判して抗おうとする勢力も、立場をはっきりを表明した。すっかり隙がなくなって、どちらとも取れないような僕たちのような立ち位置は、さて、どうしたもんかと思い悩みはじめる。 風力発電の問題に深く関わって、この状況にようやく気がつきました。そして、この状況でまちつくりをきちんとやっていくためには、環境正義という価値観を実現すべく、社会構造の問題を地方の側から正していかないといけないのだと分かり、市議選にチャレンジしたわけです。同世代的な課題はいかんともしがたく、また、ちっぽけなままの自分ではどうしようもなく、立場や役割は変わってしまうだろうけど、わずかばかりでも通用する力が欲しかった。 ![]() 囲炉裏に集まる仲間たち この市議へのチャレンジを応援してくれたTが家族を連れてやってきてくれました。実はこれで、会うのはまだたった4度目。それも初対面はこの3月11日、出会ったばかりなのです。 にもかかわらず、T夫妻の応援はものすごかった。彼らの出現は、僕たちの“選挙”をまったく異なる段階へと引き上げてくれました。選挙が“マツリゴト”の原点へ、次元の違うものに成長しました。 思い思いの場所で、過ごしてね 夕食時には、一緒に市議選をやり遂げた仲間たちが噂を聞きつけて駆けつけ、そのおかげで宴は華やかに、思い出話にも花が咲きます。 常に穏やかで、冷静で、相手の意思を尊重しようとするTには、一緒にいると何となく勇気づけられる。子どもたちとのやり取りも、食事をとる雰囲気も、なんかいい。震災後に東京の方から移住してきた彼らの、決意に至るまでの思いやこれからへの考えを聞いて、この夜のメンバーと一緒に過ごして、死ぬまでは、やっぱり生き抜きたいものだと、つくづく思えてきます。 来てくれてどうもありがとう! 夜が明けたこの日、雨上がりの近所の公園で昼下がりまで一緒に子どもたちを遊ばせて、彼らはそのまま出発しました。僕たちが長い時間を過ごした東京への行き来よりも長い時間をかけてやってきたこの道を、車を走らせて戻っていく。 わざわざどうもありがとう。見送った後は、いつものような寂しい気持ちではなくて、不思議と元気が湧いてきましたよ。 (ゆ) |
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