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絵になるみかん


その昔、と言っても30余年。
ある建築家が現場に立って見た夕日の美しさに感動して、仲間の一人に電話をかけた。
するとその仲間は、「そんなものは図面を描いたときに見えている。くだらないことを言う奴だ」と言ったとか、言わなかったとか。

 齊藤さんのぽころこ農園で農業研修が始まって8ヶ月、12月30日の年内仕事納めを迎えました。
 意外なことですが、収穫というのはあまり楽しい仕事ではありません。この地域の柑橘シーズン真っ盛りで、本格的に収穫が始まってからほとんど休みなく働いて、日々、体に疲れを溜め込んできているためでしょうか。

 きっと、そうではないんです。多分、収穫というのが、文字通り結果を表しているためのようです。
 日差しのしんどい暑い夏の日でも、草刈でも摘果でも、夏秋梢や枯れ枝を摘むような地道なものでも、収穫までの作業は案外愉しいものです。そしてこれらの仕事を進めていく上では、数値的な裏づけや日役、能率を考慮することももちろんですが、どうも『絵になるみかん』を思い浮かべることが大事であると、下手くそながらにそんな気がしていました。
 ですが齊藤さんも、同じようなことを考えながら仕事をしているそうなのです。他の農家も園地を見て、「かわいらしい」「格好良い」という言葉をよく使います。

 『絵になるみかん』が思い浮かぶこと、これは愉しい。
 収穫を楽しいと素直に思えないのは、「ああ、間違っていたか」「コレをもっとアレすればよかった」と反省が尽きなかったり、天候の例年に裏切られた思いがよぎるからでしょう。僕に任される仕事の程度は大したものではありませんが、それでも悔しい。しかしこの反省が、今後の収穫までの仕事をまた楽しくしてくれると信じます。

 この地域の柑橘栽培は、ひとつの樹との30年くらいの付き合いを視野に入れます。どんなに小さくとも、鋏や鋸を樹に当てるときには、この先数十年の付き合いが変わるんだという緊張感があります。また枝の一つひとつが、まるで一本の木のような性格を有しているようで、それでいて間違いなく部分である、そんな関係性は、一樹成れば千樹万樹のまちづくりを想起させ、やりがいを感じます。
 そのためには知り、感じなければならないことがたくさんありますが、生涯現役、死ぬまで汗をかく人生の始まりとして、今年を振り返ることとしようと思います。

 ああ、思えば充実したコルカタ生活の最後を迎えたのも今年のこと。好い一年でした。来年もまた、好い年でありますように。


 冒頭の絵は、職員時代に無茶々園の広告用に描いたみかんの絵。やっぱり、だめだなぁ。


(ゆ)
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