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水俣病事件に出会う人たち
 7月29~31日にかけて、熊本県の水俣に行ってきました。水俣を会場とする、星槎大学教員免許状更新講習に聴講生として参加してきました。“水俣病”をくりかえさない世の中のための様々な活動をおこなう『水俣病センター相思社』と共同でおこなわれる講習です。

 ほとんどが小中高校の教員、あるいは栄養士、というメンバーにまぎれて勉強してきました。水俣病患者の証言、水俣病センター相思社職員の話、水俣病事件とずっと身近に歩んできた活動家の話、そのほか、水俣のまち案内や、環境学習と持続可能な開発のための教育(ESD)における水俣という現地の視点について考える鬼頭秀一先生の講義など、盛りだくさん。
 そんな中での僕のメモ書きから抜粋して、ここに書き留めておきたいと思います。




高度経済発展に大きな推進力を生んだ「塩化ビニル」を生産する過程で、有機水銀の排水があった。それを止める、という判断を、誰か、できたかどうか。



権力は、科学的論理による判断というカムフラージュのもとに、権力の不当な行使を正当化する機会を持つ。



「自然人」としての自分が、加害者に対する怨みに引きずられる。そして、投げかけが、きちんと返ってこない。



“人”として見てほしかった。
水俣病事件は、“公害問題の原点”という言われ方をされてしまう。しかし「被害」と「加害」、この項を見直したい。この指標は胡散臭いと思った。
運動の中にも、そのカラクリが内在している。「水俣病」の認定の話が、“人間”かどうかよりも上位になってしまっている。返ってくるもの、それもシステムの一部であった。



“ひとり”ということに、普遍性がある。(システムから解放されて?)うらみごとなしに生きている。
自分みたいのが一番厄介だろう。何するかわからない。みんなが“ひとり”になったら、権力が困るだけだ。
「自然人」としての自分、「社会人」としての自分、二重構造の中で生きている。ゴーギャンの「どこから来たのか?」という問いと、同じところにぶち当たる。



水俣病事件を突き詰めていくと、文明を見つめなおすことになる。文明が足踏みすることはできないし、後戻りすることもできないけど、地方が主体性を取り戻すことはできるのではないだろうか?



研究用犠牲猫族の位牌が、ここにある。



四大公害の中で、水俣病は最後の起訴だった。しかし裁判に勝っても、もっと風当たりは強くなるというのが目に見えていた。拠りどころとして、相思社ができた。



水俣病患者の支援をしている相思社のメンバーも、水俣病患者には、調子のいい時しか会っていない。自分たちでさえ、「この人病気なの?」と思えてしまう人もいる。けれどそれは、元気なときに会っているからで、調子の悪い時には入院しているか、自宅療養している。



公害が差別を生む、というより、差別のあるとろこに公害が発生する。そして、差別された集団も、搾取の対象であったり、常に“さらに下”を作る、そういうところが確かにある。



水俣湾の埋め立ての基準となる25ppmは、予算による頭打ちだった。もっと大きな予算があれば、基準を20ppmにできたかもしれない。
25ppmというのも、水俣湾の中のことしか調べていない。湾外のことは対象としていない。25ppm未満のヘドロは、手をつけていない。



水俣病患者が農業を始めた。水俣病で体が弱っているところへ、農薬を使ってガツンとやられた。農薬が悪いものであることを知った。農業者として水俣病事件と同じことをやってはいけないと、無農薬へ向かった。



所得補償のダメなところ。都会と田舎の在り様がよくわかる。田舎では、買わなくてよかったものを全部買うようになる。補償では捉えられていなかった、負担が大きくのしかかってくる。



疫学的に見ても、みんな水俣病。
家族のうちの一人が申請したら、ほかの家族の分は申請しない。そういうメンタリティも存在する。



親は子どもを守っているつもりでも、子どもの視点では、全然守られていない。
工夫があれば、見れる。視点があれば、見える。いま、見えづらくなっている。希薄で、見守られていない。
いじめが起きたとき、犯人捜しをしないこと。みんながそうなる可能性を認めて、家で親子の関係を作り直すこと。
相手が楽になって、自分が楽になる。




などなど。


(ゆ)
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