2016,01,05, Tuesday
朝になって、「今日は(ゆ)のお手伝いしたい」と、(す)が言い出しました。
まだ採り込みの済んでいない伊予柑の収穫を急がなければならないので、どうしたものか、ちょっと迷いました。仕事中は(す)優先にできないよ、寒くなって早く帰りたいと言ってもダメだよ、つまり自己責任なんだよ、ということをよく伝えて、お互い納得して、一緒に行くことに決めました。 とはいえ、そう上手くはいかないだろう、と思っていたのが正直なところ。「行きたい」と言えば、なるべくみかん山に連れていくようにしてきてはいましたが、少し作業に焦らなければならない状況。もし早く切り上げなければならない状況にでもなったら、「正月休み明けの身体馴らしよ」くらいに思い込むしかないか。そんな気持ちを半分抱えて出かけました。 しかしこの日の、(す)の健気なこと。予想をはるかに超えて頑張っています。彼用に用意した収穫籠とキャリー箱に、摘み取った伊予柑をひとつひとつ丁寧に入れていきます。いちいち数えては、20個になった、もう30個以上ある、そういうことも嬉しいみたい。「100個まで行けるかな?」、囃し立てるとますます元気に動き始めます。 彼にとっては僕の、樹に登って収穫する姿や、自分より早いペースでどんどん貯まるキャリー箱に興奮を覚えるようです。「俺、大きくなったら(ゆ)みたいにたくさん採る!」「みかん作るの上手になりたい!」、そんな言葉にジーンときます。 この〝ジーン〟という気持ちは、トオチャンの背中を見せてやれた、そういう満足ではなくて、それだけではなくて、僕自身の子どもの頃を振り返ってのこと。 僕はいわゆる高学歴で、いま振り返れば、いい勤め先で働くことを期待されていたように思います。世の中にこれだけたくさんの職業があるということも知らなかったし、子どもの頃に農業生産に参加した記憶もありません。 両親の本音は分かりませんが、特に大学に入ってから、いろんな価値観に触れるようになり、さまざまな生き方の人々を目の当たりにしてきました。もっと早く知りたかったな、と思うことは、よくありました。 そういう反省も踏まえて、いまここで、こんな生活を送っています。僕が意図して伝えられることではないだろうけど、この子なりに、確かに何かを感じ取っているんだ。僕はそんなこと思ったこともなかったなぁ、そう思い返して、何だかジーンときたのです。 多少の作業の不効率は、子どもへの投資と思えば安いもの。こういう状況の中で、作業をどう進めたらいいか、真剣に考えることは自分自身の成長にもつながります。 写真は後日、別の園地で収穫手伝いをしたときのものですが。 きっととても疲れたことだろう。丸一日、ごくろうさま。 (ゆ) |
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