2015,10,19, Monday
![]() さあ、歩きだそう 松山東雲短期大学名誉教授の松井宏光先生の植生調査に同行させてもらいました。西予市で事業計画のある『(仮称)西予風力発電事業』における、計画範囲の一部となっている尾根沿いを歩きました。 尾根部分というのは、環境保全の観点から天然林をあえて残しているもので、戦後の造林ブームからも伐採を免れていることが多いのだそうです。実際にどんな植生となっているのかを確認する、『えひめ風車NET』の活動の一環です。 ![]() 松葉城跡から、計画範囲となっている極山方面を望む まずは宇和地区の松葉城跡地に登って、事業計画の範囲を一望してみます。ここからの眺めは、僕が海と集落との関係を思い直しはじめていたときに出会いました。確信を得た、思い入れのある大事な景色です。たねっこがおこなわれている久枝地区が、巨大風車の建設予定地からかなり近い距離にあることに、うかつにも、このときはじめて気がつきました。 そこから車で移動して、県道344線沿いの計画範囲付近に停めて、実際に歩いて、見て回ります。特に印象深かったのは、極山薬師への参道から登った、極山山頂付近の植生の在りようでした。素直に感激しました。 ![]() 見事なウバメガシの自然群生 切り立った尾根沿いには、堆積岩がゴロゴロと露出していて、風も強い。そんな厳しい環境の中で見事な“林”を形成していたのは、ウバメガシの群生です。 備長炭の原材料ともなるこの照葉樹は、標高の低い、明浜町のような沿岸の岸壁にまとまって生えているのはよく見かけます。けれどここは、もう500メートルにも及ぶ標高があります。「なぜこんな群生が形成されるのだろう。よく分からないなぁ。考えられるとすれば・・・」、ブツブツとつぶやく、四国の植生に詳しい松井先生の様子が、何ともいい。先生によれば、軽度の択伐を受けているものの、自然度の極めて高い、貴重な植物群落であるとのこと。 ![]() 向こうに見えるのは三瓶町蔵貫地区 この辺りから、三瓶町の蔵貫地区がはっきりと見えました。最寄りの家屋まで、そう遠くはなさそう。知人宅も見えるところにあります。 振り向けば明浜町の俵津地区。丘陵に隠れて見えないけれど、明浜町のほとんどすべての子どもたちが通う小学校、中学校が目と鼻の先。ああ、あの尾根の向こうは、僕たちの狩浜地区になるんだなぁ。ここからならば、地図上で見ると、狩浜地区の方がむしろ近い。 そしてその植林地の向こう側に、宇和町の野田地区がある。計画範囲からの距離は、これまで勉強を重ねてきた僕たちの観点からすれば、信じられないくらい至近です。野田地区の人は、ちゃんと知っているのだろうか? ![]() こちらは明浜町俵津地区 上記の三町、その境界基点を成す極山山頂には祠が設置されていて、思わず手を合わせました。なぜこの天然空間に神様が祀られたのか、現代人たる僕たちは、その意味を考えることを、もっと当然の習慣としていかなければならないのではないか。ここまで登ってきて、素直にそう思えます。 折しもこの場所から、宇和島市津島町で稼働している南愛媛風力発電所の風車がすべて確認できてしまいます。30㎞以上の離れているのに、否応なく知らされるその存在感を支えているのは、エネルギーの益々の需要、脱原発、温室効果ガス削減などを隠れ蓑に、固定価格買取制度に裏付けられた莫大な企業利益、そして環境省の言い訳と、農水省のなりふり構わない森林管理、といったところにまとめられそうです。どれも、田舎がリスク負担を呑む筋合いのないものばかり。 実際に管轄している経済産業省は、電力として当てにならないためか、風力発電にはあまり乗り気でないらしい。特に巨大風車の陸上設置は、建設前後での苦情の多さもよく認識しているのだとか。もう、わけが分かりません。 ![]() 山頂の祠 あれと同じものがこの尾根に建ち並ぶ姿を想像すると、どうあっても、胸が騒ぐ。僕たちのような当該住民が悲鳴をあげなければ、環境正義は守られないものなのでしょうか。四国西予ジオパークとして、いわば日本の宝としての認証を得たこの自然資本は、新たな伝統を生み出さないまま、前近代的なさもしい世の中に、このままその価値を削り取られてしまうのでしょうか。 翻って私たち。その“主役”たるオッチャンたちは相変わらず、飲んだ食った笑ったと、お互いの地域愛を何となく確かめ合って、まちづくりの喜びをかみしめている。伴侶たる女子衆には、そのステージすらない。まさに子育て中の若い世代は、共働きで忙しく、真剣に向き合う余裕がない。年寄りは、もうお迎え間近だからと優先席を譲り、地方選挙までは好々としておとなしい。 エネルギーの地域自給を目指し、その補てんとして、必要量をわきまえた適正規模のものでの発電なら、上手くいくかもしれません。居住区から十分な距離をとって、洋上に風車を設置するという方法も考えられます。もっとずっと安定していて、比べものにならないほどエネルギーを持ったジェット気流を活用することも出来るのだとか。風力発電の、こうした“可能性”まで否定するつもりはありません。 けれど発電量を重視するこの類の風力発電事業はすでに、由良守生さんが言うように、被害の確実性が立証されているものであって、もはやリスクではない。大義すらも見出せない。『えひめ風車NET』のメンバーが憂えているのは、風力発電そのものではなく、環境正義に反した無秩序な開発の方なのです。 ![]() 高いところを、飛んでるなぁ 子どもたちが山に海に遊びまくり、人々が世代を超えて、お互いに先生となって学び合い、豊かな人材が循環していく。自然資本はさらなる豊かさを取り戻していく。小さな田舎の儚くも正しい夢は、いったいいつ叶うのか。いや、いつまでも叶わないのか。 ちっぽけな僕たちは、そんな虚しい予感に飲み込まれぬよう、力の限りギリギリまで、抗いきってやろうじゃないか。 (ゆ) |
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