2013,10,19, Saturday
7月に第三子の娘が生まれ、《万傘(まかさ)》と名付けました。当然のことながら、「万傘ってどういう意味?」「なんで万傘ってつけたの?」などとよく聞かれるのですが、正直、この手の質問には困ってしまうのです。
僕の名前は《うえはらゆうき》と言います。漢字では《上原佑貴》と書きます。ですが僕には、半年間ほど《タナカ》さんと呼ばれていたことがあります。まだ20代の半ば、ネパール語講座に参加していたときのことです。 講師はネパール人でした。十人ほどの生徒がいる講座で、その中に《田中》さんという女性もいました。何かの折りに、彼女と僕の名前が混同してしまったのでしょう。僕は割合いよく学習していたためか、この講師に名指しされることが多く、教室内ではすっかり定着していたようです。 僕の本名が《上原》であるということが発覚したのは、半年の講座が終了する時期になってから。珍しく講師が出席者確認をした時、名簿の僕の名前を読み上げ、「ウエハラ・・・?」と口ごもってしまい、僕のことだと申し出たのです。教室内の一同は「ええっ」と驚きの声をあげました。 僕にとっては、僕に話しかけ、呼びかけていることが明らかでしたから、それでよかったのです。小さい頃からいろんなあだ名が付いてきましたし、例えば外国で歩いていて「ヘイ、ニッポンジン」などと呼ばれても、僕は平気な性質なのです。僕が僕であるといことの裏付けは、僕の個人的な体験の中にしかないと思っています。それだけに、誰かが僕をどのような僕として捉えるかということについても、なんとなく口出しする気になれないのです。 さて《万傘》についてですが、実を言えば、この名に何か特別な意味は込めていません。僕たち夫婦は、様々な面でまだ若い。だから今後、時代の流れや社会の変化、出会いの中で、考え方や人生観を改めることがあるでしょう。そんな未熟な僕らですから、僕たちなりのこれまでの経験を頼りにして、名前に意味を込めるということは、あえてしなかったのです。 一方で、名前というものには、運命をも動かす何かであるような気がして、惧れを抱いてもいます。だから一生懸命考えたつもりです。たくさんの文字からそれぞれ見直して、いくつもの候補を考え出しました。その中で目の当たりにした《万傘》という組み合わせへの、新鮮な、これだ、という気持ちを信じて、(わ)と二人で選び決めました。 もしかしたら、いつか《万傘》という名前が、意味を持つようなときが来るかもしれません。それを僕たちが認識できたとき、この子がそれと向き合おうとしていたならば、「君は、まさしく《万傘》だったのだね」と声をかけることができるような生き方を、親として、これから心掛けてしていきたいと思っています。 (ま)が誕生して100日を迎えました。(う)や(す)と同じくこの日から、離乳食を始めました。 (ゆ) |
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