牛鬼が暴れ、神輿が走り、巫女、鹿、相撲練りが舞い、お舟の人たちが舞台を明るくしました。10月23,24,25はここらの地域の秋祭り。祭りがあけて、いっそう季節は冬に近づいたように思います。
祭りの前夜には長い長い旗が立ちます。旗を支える木の棒が「お祭り風」と呼ばれるこの時期の風でぎしぎしいうのを聞くと、「いよいよ来たな」と血が騒ぐのだ、と近所のおじさんが言っていました。
私たちの住む集落の祭りは明朝5時過ぎから山の上の神社で始まります。薄暗い中で5体の鹿が舞い、神輿への御霊移しが行われます。私と(う)とコルカタよりはるばる遊びに来たRimliとSteveの夫妻は、眠い目をこすって何とか時間までに神社にたどり着きました。神輿を担ぐ(ゆ)は、私たちとは完全別行動。
7時には、港のすぐ横の広で儀式や踊りなどが始まります。子どもから大人まで色々な人がそれぞれの役割を持つこのお祭り。表に出ないお母ちゃんたちも、昼と夜のご馳走の準備では大活躍です。そう、この地域には「お客様は神様なり」という考えが強くあり、山の中には「お客さま」と呼ばれる小さな祠もあるくらい。たいていの家は、「御神灯」と書かれた大きな提灯を玄関先にさげご馳走を用意しており、これらの家には誰でも入ってよし、食べてよしの無礼講とされています。
RimliとSteveは、このご馳走をずっと楽しみにしていました。というよりも、その無礼講の話を聞いてインドからはるばる来たくらい。日本料理、特に魚好きの二人が喜んだことといったら。
ライターでもあるRimli、地元の人に聞きたいことも山ほどあります。特にじいやん、ばあやんが戦争の話を始めようものなら、食い入るように聞いていました。雲の中のB29の音が、石臼を挽くときのようだったこと。青年団の一員として外に見回りに行ったとき、宇和島の空が炎で赤く染まっており、夏だったのに怖さで寒気がし、毛糸のチョッキを着たこと。日本軍が次々と占領していく放送も、自分たちにはピンとこなく嬉しくもなかったこと。主食は芋と麦で、米がこんなに食べれる今が一番幸せだと思っていること。終戦後、やっと自分の人生が始まったと思ったこと。でもどうなるか見えなくて怖かったこと。
あるばあやんが別れ際にこう言いました。
「こんな若い人たちに戦争の話を聞いてもらえて、言い思い出になりました。良い冥土の土産になります。」
この言葉で、Rimliは泣いてしまいました。
RimliとSteveの通訳に徹しながら、私も貴重な話を沢山聞くことが出来たように思います。脈々と続くお祭りは、私たちには一年に一度の珍しいイベント。でも何十年と祭りと育ってきた彼らにとっては、何層にも重なる自分の思い出の上に見る、お祭り。
そんなお祭りを終え、柑橘農家はいよいよ収穫時期に入ります。
(わ)