4日目 フィレンツェ・ピサ観光(2015.01.21) | |
18日 19日 20日 4日目 (1/21) 22日 23日 24日 | |
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午前:[世界遺産]フィレンツェ観光とウフィッツィ美術館見学 ◎ベッキオ宮殿や◎ベッキオ橋、●ウフィッツィ美術館 ◎ジョットの鐘楼や◎サンジョバンニ洗礼堂 ◎ドゥオモ見学 午後:◎ミケランジェロ広場からの眺望見学と [世界遺産]ピサ観光 ◎ピサの斜塔、●ドゥオモや◎洗礼堂 宿泊地:フィレンツェ連泊(グランドホテル メディテラネオ)
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【6:30 朝食 】 | |
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花の都フィレンツェフィレンツェはトスカーナ州に位置し、人口約35万人が住みます。かつてのフィレンツェ共和国、トスカーナ大公国の首都で、イタリア統一後、短期間(1865〜1871)ではありますがイタリア王国の首都がおかれました。 「花の都」フィレンツェは、今もルネッサンスの華やかな雰囲気が残り、ルネッサンスを開花させたメディチ家の紋章(百合の花と丸薬)をいたるところで見かけます。中世からルネサンス期にかけて、フィレンツェはヨーロッパの商業・金融の重要な中心地のひとつで、文化の中心としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されています。 美しいアルノ川、見応えのある教会町には美しいアルノ川が東西に流れ情緒あふれます。北側は町の中心地となり、美しいクーポラのドゥオーモとジョットの鐘楼、市庁舎であるヴェッキオ宮、ボッティチェッリの作品でお馴染みのウフィツィ美術館、メディチ家ゆかりのサン・ロレンツォ教会、ミケランジェロも眠るサンタ・クローチェ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会があります。アルノ川南には広大なボーボリ庭園を持つピッティ宮(パラティーナ美術館)、サント・スピリト教会、フィレンツェの街が一望できるミケランジェロ広場など必見スポットがいっぱいです。 芸術の町では美術館が必見です11〜15世紀はフィレンツェ文化が最高潮に達しますが、特に14世紀以降に興ったルネッサンス文化とメディチ家はフィレンツェの歴史と芸術においてとても重要です。メディチ家は学芸を愛好し、芸術家たちを育てた重要なパトロンで、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど、数え切れないほどの有名芸術家を育てました。 |
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【8時 ホテル出発】 | |
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【8:35 ヴェッキオ橋】 | |
ヴェッキオ橋も必見です。メディチ家のフェルディナンドによって汚らしい肉屋や八百屋が撤去され、豪華な貴金属店のみの営業が許された歴史があります。 第2次世界大戦でもその美しさゆえドイツ軍に爆破されなかったとか。 |
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【8:40 ウフィッツィ美術館 〜10:10】 | |
フィレンツェが世界に誇る『ウフィツィ美術館』はとても広く、実に45の部屋からなっています。これらを全て見るには1日では時間が足りません。 有名な絵画作品を見逃すことなく効率的に回ることが、時間の少ない観光には必要です。 ウフィッツィ美術館は、イタリア=フィレンツェにあるイタリアルネサンス絵画を所蔵した世界最大級の美術館で、1591年より部分的に公開されてから現在に至まで、ヨーロッパ最古の近代式の美術館の1つといわれています。 イタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大で、1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として認定されています。 1737年にメディチ家出身の最後トスカーナ大公であるジャン・ガストーネが死去して、メディチ家が断絶した時、メディチの血を引く唯一の相続人のアンナ・マリア・ルイーザは、「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈しました。 彼女のこの功績とても偉大で、もし私財として残っていたならば、この膨大なコレクションは様々な人の手に渡り、系列立てて同時に閲覧することはほぼ不可能となっていたでしょう。ちなみにアンナ・マリア・ルイーザの像はサン・ロレンツォ教会の裏にひっそりとたたずんでいます。 ウフィッツィ美術館にはメディチ家歴代の美術コレクションが収蔵されており、イタリアルネサンス絵画の宝庫です。展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻・モザイク、ボッティチェッリ、レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されています |
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![]() Filippo Lippi: Madonna col Bambino e due Angeli フィリッポ・リッピ作「聖母子と二天使」 1465年、第8室 |
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![]() Piero Della Francesca: Dittico dei Duchi d'Urbino ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻の肖像」 1465-1466年、第8室 |
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![]() ボッティチェッリ作「春」 1477-1478年、第10-14室 |
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![]() ![]() 9:10 ダ・ビンチ作 「受胎告知」 1475〜1480 第15室 |
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2Fより | |
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【9:20 】 | |
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【9:25 小休止 〜】 | |
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9:35 ラファエロ 「自画像」1506 66室 // 「ヒワの聖母」 1505〜1506 26室 | |
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9:40 ルネッサbbス後期 バルミジャニーノ 「長い首の聖母」 1534〜1539 29室 |
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下の作品は 修復され、展示は最近とか? | |
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9:50〜 ミュージアム・ショップ // トイレ 〜10:05 | |
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【10:10】 | |
![]() ヴェッキオ宮殿はフィレンツェ共和国の政庁だった建物で、現在でも市庁舎として利用されています。現在アカデミア美術館に納められているミケランジェロのダビデ像はもともとはこのヴェッキオ宮殿の前に置かれていました。 |
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【10:15 皮ショップ 〜10:40】 | |
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【10:50 シニョーリア広場】 | |
シニョリーア広場(Piazza della Signoria)は、イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ宮殿前のL字形の広場。シニョーリア広場とも。 フィレンツェ共和国の歴史の焦点であり、原点でもあり、今も市の政治的中心地としてその名誉を維持している。 | |
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![]() ダビデ像(左) |
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【11:00〜 街中の様子】 | |
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【11:10 ◎ジョットの鐘楼や◎サンジョバンニ洗礼堂 ◎ドゥオモ見学 】 | |
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サンジョバンニ洗礼堂 「天国の門」 | |
サン・ジョヴァンニ洗礼堂はドゥオモと隣り合って建っています。ドゥオモと面した扉はミケランジェロが「天国の門」と称したギヴェルティの作です。 現在あるのはレプリカで、本物はドゥオモ博物館に収蔵されています |
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【11:10 ドゥオモ見学〜11:25】 | |
フィレンツェの中心といったらやっぱりここ。花の聖母教会=サンタ・マリア・デル・フィオーレ=という美しい名を持つ大聖堂です。13世紀の末から建設が始められ、ブルネレスキ設計のクーポラ(写真の左奥の茶色のドーム)が完成したのが1436年とのこと ドゥオモの内部。外部の壮麗さに比べたらかなり質素です。 |
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ドーム型の天井には、圧巻の「最後の審判」が描かれています!! このフレスコ画は、ヴァザーリの回廊を建築したジョルジョ・ヴァザーリが中心となって制作されました。天国(上部)と地獄(下部)どちらに行くか、神の裁きを受ける場面です。 |
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帰り際に出入口の真上を見上げると、パオロ・ウッチェロ作の時計があります。 普通の時計とは違い逆回りに動き、「T」はミサが行われる時間=日没を示しています。 昔の人は今何時かよりも、日没まであと何時間なのかが重要だったということですよね。 |
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ドゥオモ周辺の景色 | |
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14世紀にジョットによって着工されたゴシック様式の鐘楼で、414段あります。体力さえあれば上れます。 聞くところによると、鐘楼は金網で囲われているので見晴らしはドゥオモのクーポラより劣るものの |
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【11:50 中華料理のランチ 〜12:40】 | |
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ランチ後〜13:00 自由行動 スーパーに立ち寄る | |
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13:00 駅を通り、 バスまで移動 〜13:20 | |
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バスにて ミケランジェロ広場に移動 | |
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【13:40 ミケランジェロ広場 〜 13:55】 | |
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フィレンツェ市街を一望できる小高い丘の上にある。中央にはミケランジェロのダヴィデ像のレプリカが立っており、広場のすぐ上にはサン ミニアート アル モンテ教会がある。カフェテラスもあり、エスプレッソを飲みながらアルノ川の向こうに広がる町並みを鑑賞するのもおすすめ。 | |
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【13:55 フィレンツェ〜ピサに移動 〜15:40】 | |
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![]() ![]() シャトルバスにて移動 |
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【15:45 ◎ピサの斜塔、●ドゥオモや◎洗礼堂 〜16:50 】 | |
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15:45 洗礼堂 〜16:05 | |
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洗礼堂 大聖堂の西側には洗礼堂があります。円筒形の建物で、直径約35m。1152年に建設が始まった洗礼堂ですが、完成するまでに200年以上の月日を要しました。ロマネスク様式の建物の下側とゴシック様式の上側となっている珍しい建物です。大聖堂同様、洗礼堂も少し傾いています。また、洗礼堂は音響効果が良い事でも知られており、30分おきに係員が音響効果を披露してくれます。ぜひチェックしてみてくださいね |
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イタリアの町ピサは斜塔で有名ですが、世界遺産に登録されているのは塔があるドゥオモ広場全体です。 ドゥオモとは大聖堂のことで、白色の大聖堂や洗礼堂、塔が並ぶ広場はその美しさゆえに『奇跡の広場』とも呼ばれています。 「シリーズ世界遺産100」では、大聖堂や塔を建てた都市ピサの歴史を紹介します。中世、ピサは強力な海軍を持つ海洋都市国家で、地中海交易の覇権を握って隆盛を極めました。11世紀にピサの繁栄の象徴として建立された大聖堂には、莫大な富が使われました。北アフリカから東方のトルコまで地中海沿岸の様々な文化が集約されており、独特な美しさを誇っています。鐘楼として建てられた塔は、建設途中から傾き始めました。地盤が軟弱だったためです。そのため、上の層を傾いた反対側に曲げながら建設が続けられました。だから斜塔は湾曲した形で立っているのです。塔は現在も傾き続けているため、最近になって傾きを維持する工事が行われました。 |
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【16:05 ドゥオモ 〜 16:25】 | |
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ドゥオモは、イタリア最古の伽藍。 内部は奥行95M、幅32Mで68本の石柱が会堂を支えている。ジョバンニ ピサーノの説教壇は必見。 斑石でつくられた6本の柱と、彫像で飾られた5本の支柱で支えられている。 大聖堂(ドゥオモ) 1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築が始められたこの大聖堂。パレルモの古代遺跡から運んだ円柱を使用しているそうです。建造物自体はロマネスク建築ですが、内装はビサンティン様式の影響がみられます。また、説教壇はイタリアのゴシック様式を代表する彫刻としても有名です。よく見ると、大聖堂も少し傾いているんですよ。 |
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【 16:25 ピサの斜塔 トイレ 〜16:50 】 | |
ピサの斜塔は、1173年、ボナンノ・ピサーノによってドゥオモの鐘楼として着工されました。しかし地盤沈下のため、完成したのは14世紀後半。塔の中心軸を調整しながらの建築となりました。今なお傾き続けている斜塔は、円筒形の8階建てで、階段は296段(294段という説も)あり、高さは約55m、建物全体の総重量は、14,453tと推定されており、南に約70cmほど傾いています。16世紀に、ガリレオ・ガリレイによる落下の実験が行われたという伝説も残っていますが、真実は明らかになっていません。 ピサの斜塔出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/07 18:19 UTC 版) ピサの斜塔 (ピサのしゃとう、伊語: Torre di Pisa) は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポットである。高さは地上55m、階段は297段あり、重量は14,453t、地盤にかかる平均応力は50.7tf/m2と見積もられている。一時傾斜の増大と倒壊の危惧があったがその後の処置により(後述)、当分問題ないと判断されている。5.5度傾いていたが[1][2][3]、1990年から2001年の間に行われた工事によって、現在は約3.99度に是正されている[4]。 かつてのガリレオの実験に対して行われた異端審問の弾圧に関連してローマ法王が侘びの公式声明を塔の頂上にて行った事も有名。 |
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16:50 シャトルバスで駐車場まで戻る予定が終了。(イラリア人は早めに仕事を終える習慣あり) 急遽、路線バスにて駐車場へ戻る (17:00 〜17:05 ) |
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【17:05 ピサ〜19:20 フィレンツェのホテルへ 】 | |
ホテルから歩いて レストランへ | |
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【19:40 ディナー 〜21:00 】 | |
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ラザニア 魚料理(ムニエル) プリン | |
【21 歩いてホテルへ帰る 〜 21:35 】 | |
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