南伝干満001
 〜 家庭料理が上手くなりたい
うえはらゆうき

 インドへ来て早一ヶ月、台所を任されて四週間余りが経ちました。やはり僕は料理をするのが好きなのだなぁと思います。
 僕が上手くなりたいと思うのは、いわゆる普通の家庭料理、必要な手間をかければ、ありきたりの道具で簡単に出来るようなものです。これには日本料理かイタリア料理か、はたまたインド料理かといった区別はしていません。

 例えば僕がイタリア料理を究めるのであれば、本国の魚介類がたくさん集まるところとか、農村の村とかに行ってみて、その料理がそもそもどんな風土で生まれ育まれてきたのか、やはり一度は触れてみるでしょう。そして日本で育った料理人としてどんな気持ちで向かうのか、イタリアという国やその文化とのキョリを自分で見極めることがやはり大切ではないかと思います。これはフランス料理であれ、インド料理であれ、その他のいわゆる「国」料理では同じことのように思います。
 ではこのようなカテゴリに当てはまらない家庭料理がよりよくなるためにどんなことが大切か、僕なりの考え方を整理してみました。

 それはやはり素敵な「家族」や「家庭」「家」にたくさん触れるこではないでしょうか。どんな場所のどんなありきたりのものでも構わないのです。いいなと思ったならば、描き残してたびたび思い出す。そして思い出したときには、そのときそのとき、自分の成長具合で何かを確かめ、その解釈を自分の中で育んでいくことではないかと思います。
 どんな器具で、どんな素材で、どんなオイルやスパイス、調味料を駆使するかということは、例えば自分の考えを日本語で言うか英語で言うかというような違いであって、あくまで大切なことは、どんなことを言いたいかという考え、つまりその人の人間性にあると思いたいのです。この場合で言えば、自分にとっての「家族」「イタリア」「インド」・・・とはどんなものか、ということですね。おのずと料理に表れてくるのではないかと期待します。

 さてそして僕の人間性といえば、日本育ちのきわめて和風な男、かどうかは分かりませんが、そういう人間性に少し憧れのようなものを持っているのは確かです。ここでなら、インドのスパイシーな香りであっても、どこか日本的な気がする家庭料理が作れるようになったら、とてもよいな。

 いま思い返すに、僕がこれまで「家族」をテーマにした様々なことに、なんとなくでも関心を持ってきたことが、「料理が上手くなりたい」という形にひとつ結びついた、特にあらたまる必要はこれとないのですが、そういうことに気がつきました。もちろん技術的なことも磨いていきますが、これからも素敵な「家族」「家庭」「家」に出会ったときには、「ちょっと退屈な日々」「グムナスケッチ」などでお伝えしていきたいと思います。


2007年8月17日


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