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新婚チキンその3 〜夫婦合編
 食事もほとんど済んだところで、このあいだボツになってしまった塗り絵の下絵を二人に見てもらうことにしました。僕としては、インドの人にコメントをもらえるのは、ありがたい機会です。

 「子どもには難しい、って言われちゃったんだよね」と渡すと、まずひと通り見て、「やっぱり難しいよ」と彼は言います。「素晴らしいよ、でもオッケーとは言えないね」と言われ、ああやっぱりか、仕方がなかったかなと、聞いていました。
 さらに生真面目な彼は、手から話さずに何度も見直し、AからZの絵、一つひとつにコメントをし始めます。これはなんだっけ、ああ、それはね、あれはね、とそれぞれにうんちくを傾けます。ですがそのたびに、彼女の方が「でもこういう見方もできるじゃない」「それは、ここにちゃんと描いてあるよ」などと、囁いてはさみます。そうこうするうちに、ほとんど納得がいってしまったようで、結局、ネガティブな意見と建設的なアドバイスを一つずつもらっただけ。最後はお気に入りの絵まで教えてくれました。これは愉快でした。こんなやり取りを見れて、僕は満足です。これが、いいのだ。

 しかし、先日遊びに来てくれたベンガルの友人たちにもこの絵を見せましたが、やはり外国人であるかの友人や海外NGOの人の意見とは食い違うところが多くて興味深い。こんな話をぶり返すのも何ですが、文化交流・異文化学習のための塗り絵を作るというこのプロジェクトに、ベンガル人はおろかインドの人が一人も加わらないで進んでいるということは、やはりおかしいのではないかと思います。これは、僕は先日の打ち合わせで始めて知りました。描き手はそれで構わないのでしょうが、コーディネーターがそれでは、いかがなもんでしょう。
 帰属の必然性のない土地につながっていく、そういう生き方が確かにあるとして、その不自然さを感じずにはいられない場面というものが、やはりあります。そんな場面に引き合わせるのは大抵構造的な背景があるもので、その縮図が、このプロジェクトにもあるのでしょう。この流れにそのまま乗っていたのではいけない。

 地元の人々との親交を楽しんでいると、否応なくこういうことを意識してしまいます。異文化交流というものが好奇心やお互いの尊重を含んでいるものとすれば、ああすればこうなるというものではない。やっぱり愛がなくっちゃ、愛が。こんなことを知るには、このカップルの夫婦合に触れるまでもありませんが、いや、触れるに越したことはありませんが。

 来てくれてありがとう。またこれからも、仲良くしてくださいね


(ゆ)
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