ある釣具店の店主は、「最近の若い釣り人は、釣れる場所はどこかと良く訪ねる。一度行って釣れなかったら釣れないと嘆く。釣れるとそこばかり行ってその他の場所には行こうとしない。」と良く嘆く。
しかし、私も釣りを始めた頃は、そうだった。釣りの情報源は、数少ない釣り雑誌と、通っていた釣具店の情報しかなかった。
魚が釣れると雑誌に載っていた場所にもよく行った。その当時釣れると書いていたポイントに行けば魚が簡単に釣れるものと思っていた。浅はかであった。
そうこうしている内に釣りとはこういうものかと自然に理解できて来る。
ある程度釣りが成立するようになると、今度は自分の意思で釣り場に行き、実際に釣りをして見る。
あそこが釣れたのならここも良さそうだなぁ。という具合に釣れそうだと思った場所はとにかく竿をだしてみる。ちょっとオーバーな表現かも知れないが、とにかく水があればフライを振るということをした。
その当時、休みの日は、釣り以外する事も無かったので時間はいくらでもあった。また、出勤前後も貴重な釣りの時間になった。
休みの日は、台風でもない限り釣りに行かない日は無いくらいだった。海のFFを始めてからは、さまよう範囲と時間は更に広がった。あてずっぽうで入ったポイントでは、大抵は空振りに終わる。しかし、鉄砲の弾は数打てば当たることもある。
他の釣り人がほとんど居ない釣り場で一人「やったーぁ!」と心の中で叫ぶ。こういう時は感動もひとしおである。苦労した甲斐があったと思う瞬間である。
こういうことを繰り返し、この魚はこの季節がいいとか、どういう条件の時が良かった。こういう条件の時は、こことここがいいなど、どんどんと自分の引き出しを増やしていった。
良く魚を釣る人は、この引出しの多さに感心する。話を少しするとあ〜この人はかなり狂っているなとすぐに分る。
最近は、昔ほど釣りに行かなく(行けなく?)なり、この引出しの数は一向に増えない。最近の私の釣りは、過去の引き出しをあちこち引っ張りだし釣りに行っているように思う。
しかし最近思うのは、私の引き出しは段々と古くなり通用しなくなってきているように思う。魚釣りは自然が相手である。川も海も段々と様子が変わってくる。
新たな引出しと感動を求めてさまよい歩きたいがなかなかそういう時間が無い。最近の悩みのひとつである。
水があればフライを投げていた頃が最近は懐かしい。
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釣り::その他 | 2004/09/14, (Tuesday) 11:21 PM |
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