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MPECを訪ねて ~唄や祭り 編


 おらが村へわざわざやってきてくれたということなのだと思いますが、村々で大なり小なりの歓迎を受けました。

 ある村では、僕たちの帰り際に唄を歌ってくれました。サンタル族の言葉をベンガル語に置き換えて、それをさらに日本語に訳してもらうと、次のような意味の唄なのだそうです。

===(1曲目)

私たちはよく踊る
踊るのが好き
皆で踊りたいのだけれど
道がせまくてだめだわ
もう少し道が
広ければいいのに

===(2曲目)

私たちはよく唄を歌う
お金持ちはお金のために
私たちは土のために

===

 余韻の残るメロディーとリズム。もしやと思って聞いてみたら、やはり収穫の時に畑で作業中に歌うのだとか。
 こんな話を聞くと、移動中の風景が違って見えるというものです。
 西ベンガル州の水の豊富な地域では、今はちょうど、12月の収穫が済んで、新たな田植えの時期を迎えています。苗代で苗を結ったり、鮮やかな色のサリーをまとった女性が田んぼに並ぶ様子を、窓から覗くことが出来ます。
 そんな時、やはり何かしらの唄を歌っているのでしょう。

 そしてまたある村では、踊りを披露してくれました。
 太鼓などの楽器の一団と対面するように、女装した青年たちが踊ります。足腰の負担が大きいように思われる、かなりダイナミックな踊りです。
 村中から集まった人々とその場を囲むと、さながら祭りのようでした。感激しました。

 きっと本来の祭りも素晴らしいのだと思います。なぜ素晴らしいと思うのかと言うと、見ていた少年や少女たちが、踊りたくてうずうずしているのです。つまりそれだけ、村では一年のうちに待ちに待つべき、“ハレ”の一大事ということだと思うのです。一大事足りうる素晴らしい祭りだと。
 そんな彼らの手をとって、「踊ろう」と輪の中へ飛び込んでいってしまいました。
 そして祭りが素晴らしいということは、村の人々は、農業を一生懸命するのだと思います。そういった気質や感情の根本が、祭りに表れるのだと思うのです。

 いやそれにしても、また踊ってしまいました。そのおかげで視察と報告の区切りがつきにくくなってしまい、別れの時には、夕方もずいぶん暮れてしまっていました。
 村からのでこぼこの多い道を、暗くなって走るというのは、メンバーにとっても運転手さんにとっても、気疲れの多いものです。
 ごめんなさい。申し訳ない。


(ゆ)
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