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弔い里帰り
 Delhiからガタガタなバスに揺られて走ること2時間。DelhiとJaipurをつなぐ国道の両脇には、数年お気に通るたびに工業施設が増えています。国道でバスを降りたら、そこから車かテンプーで乾燥した奥地の方へ走ること30分弱。そこに、私が2002年に半年間暮らしていたクティナ村があります。

 最近ここに来たのは、2005年の新年。「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン事務局で働くのを終えた直後、パートナーとしてキャンペーンを運営していた企業の社長さん一家が「インドNGOツアーをしたい!」なんて言い出して、暇な私が通訳・アテンドをしたのでした。ぜひ素朴で普通な「村」にも、ということでクティナ村にも連れてきたのです。
 こんなことがあったので、2年ぶりの「里帰り」でした。

 今回の訪問は、実は今までと違うとても重要な意味がありました。それは、同じNGOで活動していたこの村出身の友人が数ヶ月前に交通事故で亡くなっているからです。なんと、彼の弟も一緒に二人でバイクに乗って出勤した直後の出来事でした。
 朝は霧が濃いことが多いのですが、慣れた道だと思って高をくくっていたのでしょう。タイヤが道から外れて道をふさぐ形で止まっていたトラックが見えなかったのだそうです。二人とも即死。家には彼の奥さんと二人の赤ちゃん、彼の両親ともう一人の弟がそのニュースを受け取りました。

丘の上に建つお寺から、村を眺める 亡くなられたお二人の写真の前で おばあちゃん、おじいちゃんと記念撮影。「ここはあなたたちの田舎だから、いつでも来なさい」

 お母さんは、私に何度も何度もこの事故の状況を、まるで自分が見てきたかのように語っては涙ぐみ、そして最後は決まって「何十年もかけて育てた子が、こんな一瞬にしていなくなるなんて、ねぇ」と、こういいます。いつも通りお弁当を持って出かけた彼らが、その30分後に冷たくなったのですから。
 私たちはこのおうちに泊めてもらうことになっていたので、お母さんの話を何度も聞き、そしていつもここに来るときはするように、丘の上のヒンドゥー寺院に登って夕焼けを眺めました。人が産まれたり、死んだり、出会ったり、別れたり。このお日様はずーっとそんなのを眺めてきているのでしょうか。


(わ)
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