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縞枯山  (2403m) (2018.01.15)
久しぶりのスノーシューハイクです。雪山での山歩きはずっとワカンを使っていたが、2014年にスノーシューを購入。
霧ヶ峰車山、乗鞍高原、上高地、南沢山、長者峰、蛇峠山、大日ヶ岳、貝月山、綿向山、明神平などでスノーシュートレッキングを楽しんできた。
しかし、去年、一昨年と体力の衰えでスノーシューで歩くのはしんどいと、雪山は敬遠していた。最近は調子がいいから歩けるんじゃないかな。
 
1/15(月) 北八ヶ岳、縞枯山(しまがれやま、2403m) 北八ヶ岳ロープウエーで2240mまで上げてくれる。山頂駅から雨池峠、縞枯山、展望台(2387m)とピストン。4時間の樹氷の中のスノーシューハイク。
 
縞枯山は名前のとおり、縞枯れ現象が見られることで知られている。
縞枯れは、亜高山帯針葉樹林のシラビソ・オオシラビソが帯状に枯れ、その縞枯れの帯が、山頂に向かって長い年月をかけ移動していく現象であり、遠方からは山の 斜面に何列もの白い縞が見える。
北八ヶ岳には98年9月、というと、ちょうど20年前ですね。
当時私は東京の金町にいました。1人で日帰りで麦草峠→茶臼山→縞枯山→三ツ岳→北横岳→坪庭→五辻→狭霧苑→麦草峠と歩いたことがある。
天気のいい土曜日だというのにまったく登山者に会わなかったが、北横岳から坪庭にかけては観光客で一杯でびっくりしたことを覚えている。
また、若かったので(当時55歳ですか)結構ハードな歩きをしましたね。
と言うことで、このロープウエーも雪の北八のスノーシューハイクも初めてです。
山頂駅の温度計はマイナス11度、でも天気もよく風もなくあまり寒く感じないですね。
アイゼンをつければ歩けそうでしたが、当然スノーシューをつけて歩きますね。
雪の上を歩くのは気持ちがいいね。まわりはモンスターまではいかないが、樹氷のまっただ中です、うれしくなります。
雨池峠からの急登はきつい。でも、スノーシューのエッジはよく効いていてよく雪をつかみ、すべりません。快調に歩けます。
縞枯山に着くとまたまた違った光景が。枯れ木に樹氷、その向こうには北アルプスから乗鞍、御嶽、中央アルプス、南アルプスと。
南八ヶ岳の赤岳や阿弥陀が目の前です。振り返ると浅間山が。いいですね。さすがに尾根は風が出てきましたね。
でもあまりの大展望に見とれて寒さを感じません。縞枯山からの展望もすばらしいし、縞枯山の先の展望台からの展望もすばらしいですね。雪山の醍醐味ですね。
久しぶりのスノーシューハイク。快晴であまり風のない、いい日に来ました。展望も、樹氷も最高でした。
もうこの歳ではスノーシューをつけて歩くのはしんどいと思っていたが、ハイキング程度ならまだまだ歩けそうです。今年はもう少し雪の上を歩きたいね。
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(おまけ1) 1/23(火)〜1/24(水)  町内の組の人たちと恒例の新年会兼旅行
町内の組の人たちと恒例の1泊旅行です。いつもの6人組です。最初は1回/年だったが、最近は3回/年。
私もこんな機会がないと観光旅行なんてしないので、誘ってもらうのはうれしいですね。
おまけに子供のころから知っている人たちだから。我々6人組はみんな歳を取ってきました。
最年長のW田さんは80を越しました。私はまだ若手ですね。今回は新年会を兼ねて近場の下呂温泉へ。
雪見の温泉もいいですね。行き当たりばったりで、犬山に寄って成田山、犬山城へ。
下呂温泉に泊まって翌日は雪で真っ白の萩原の造り酒屋「天領」の見学と試飲を(前夜ホテルで飲んだ天領が美味しかったので寄ることに)。
雪で高山は敬遠したのに、真っ白な道路を加子母、付知経由で中津川へと。美濃に帰ってもまた雪でした。
雪雪雪の旅行だったが、楽しかったですね。ホテルでのバイキング、また食べ過ぎでしたね。ちょっと意地汚すぎるかな。
そういえば下呂温泉で泊まるのは初めてでした。こんな近くて有名な温泉に初めてというのはびっくりですが、縁がなかったのですね。
下呂温泉には何度も来ているのですが、いつも素通りか日帰り温泉に入っただけでした。
 
(おまけ2) ボランティア
今、「やまびこ」という、おもに高齢者の方を対象としたミニデイサービス、配食サービスなどをおこなっているボランティア団体でお手伝いをさせてもらっています。
と言ってもお弁当の配達やお年寄りの送迎の運転をしているだけですが、お年寄りの方たちと話しているのは楽しいですよ。
また、私の両親はむかし、地元の小学校の教師をしていたのですが、両親のことを覚えているお年寄りもあり、その方たちから両親のことを聞くのはうれしいですね。
昨年は神洞地区の弁当を配っていて、おふくろの事をよく聞きましたし、最近はお年寄りの送迎で、洲原地区の方から親父のことをよく聞いてます。
Yさんは親父にひいきしてもらったよとうれしそうに話してくれましたよ。その両親が勤めていた神洞小学校、洲原小学校はもうずっと前に廃校になっています。
 
(おまけ3) JAZZ好き仲間
現役時代、京都、つくばで同僚であったトリさんとエラちゃん。彼らとは同じJAZZ好きで、よく一日中JAZZ三昧だと言って一緒にレコードを聴いたものでした。
彼らは相変わらずJAZZを聞いているようで、今年の年賀状で川越に住んでいるトリさんは「年末に自慢のMICRO製のレコードプレーヤが壊れたが修理できなくJAZZが聞けません」と泣き言を。
エラちゃんは実家の鳥取に移っているようで、「コルトレーンとドルフィーのLPはほとんど全部集めました、JBLのスピーカーも移設し、地震もあったが順調に鳴っている」と。
2人とも相変わらずJAZZ三昧のようだ。エラちゃんからは大山登山に来て、ついでに寄らないかとお誘いが。
よし、大山には去年登ったが、口実をつけてエラちゃんとJAZZを聞いてこよう。そういえば、彼らからは私がリタイアして美濃に帰るときに餞別にコルトレーンのCDをもらったね。
またトリさんからは浅川マキのLP10枚をCDにダビングして送ってもらいましたね。
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