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 1358.倉敷美観地区観光(2024.9.22)
 
 
(13:40〜倉敷美観地区 〜18:15)

日本で初めて作られた美術館というのも、初めて知る
何の知識もなく、街並みが綺麗だからとの利用で訪問
見終わってから、いろんな疑問が

創設者大原孫三郎氏と 児島虎次郎氏の関係はどんなんだろう

大原美術館の成り立ちは、二人の人物の出会いと友情に端を発しています。
二人の人物とは、大原孫三郎、そして児島虎次郎です。


1902(明治35)年、東京美術学校(Tokyo Fine Arts School)西洋画科へ入学することとなった虎次郎は、 大原家を訪ねます。
孫三郎が孝四郎に進言し立ち上げた大原奨学会からの支援を得るためでした。
孫三郎は、虎次郎の誠実な人柄に惚れ込み、奨学生となることを許します。

1907(明治40)年、東京府勧業博覧会の美術展に応募し、 《なさけの庭》が一等賞になり、宮内省(当時)買い上げという快挙を果たしました。


これを喜んだ孫三郎は、虎次郎にヨーロッパへの留学を勧めます。
@ 1908(明治41)年、虎次郎は、フランスのパリへ渡り、その後ベルギーのゲントへ移り、同地の美術アカデミーに学びます。
そこで、校長ジャン・デルヴァン[Jean・Delvin]やエミール・クラウス[Emile Claus]など、良き師に恵まれた虎次郎は首席で卒業後、帰国しました。

倉敷へ戻った虎次郎は、孫三郎らの勧めにより石井十次の長女・友と結婚。
現在の倉敷市酒津に新居とアトリエを構えます。
風土や画材の違いに悩みながらも、ベルギーでの学びを活かし、酒津周辺の景観などをモチーフに、数々の優れた作品を描きました。


A1919(大正8)年、孫三郎の勧めにより、虎次郎は第一次大戦後のヨーロッパへ再び留学することになりました。
その際、虎次郎は美術作品の収集の許可を孫三郎に願い出ます。

もとより、虎次郎は「個人としての願いではなく、日本の芸術界のため」という理由から、作品収集への思いがありました。
それは、第一回目の留学から帰国する際、当時フランスを代表する画家であったアマン=ジャンの《髪》の購入を懇願していることにもうかがえます。
《髪》の購入は直ちに許した孫三郎でしたが、この度の申し出には逡巡します。
「広く社会に意義あることを」と考える孫三郎は、西洋の美術作品を収集し公開することが、
日本の社会においてどのような意味を持つことなのか、慎重に見極めようとしたからです。
孫三郎が返事を送ったのは、初めの進言からおよそ一年を経てからでした。

許しを得た虎次郎は、当時、すでに巨匠と認められていたモネ、マティスらを訪ね、
モネからは《睡蓮》を、マティスからは《マティス嬢の肖像》”Portrait of Mademoiselle Matisse”を購入します。

その他にもマルケ[Marguet]、セルジエ[Serusier]など20点あまりの作品を集め、1921(大正10)年に帰国しました。

帰国の翌月、倉敷市内の小学校を会場に、それらの作品を公開しました。
すると、倉敷駅から会場まで長蛇の列が途絶えることがなかったと言われるほど、全国から多くの観客が押し寄せました。
この様子を見た孫三郎は西洋美術作品収集の意義を確信します。

Bそして、今度は美術作品収集のために、虎次郎を三度目のヨーロッパへ旅立たせました。
その際に収集されたのがエル・グレコ《受胎告知》、ゴーギャン《かぐわしき大地》”Delightful Land” ”Te Nave Nave Fenva”、
セガンティーニ《アルプスの真昼》などの作品たちです。

残念なことに虎次郎は、1929(昭和4)年、47歳という若さで亡くなってしまいます。


この早すぎる死を悼んだ孫三郎は、虎次郎が収集した作品、そして虎次郎が画家として描いた作品を公開するために、美術館建設を決意します。

日本全体が不況にあえぎ、自身が社長を務めるクラボウ“Kurabo Industries Ltd.”の経営も順調でなかった中ではありましたが、
1930(昭和5)年に大原美術館は開館しました。
それは、虎次郎との友情を記念するものであり、また「広く社会に意義あること」つまりは「今を生きる人々にとって意義あること」を願うものでした。



そんな事を知ると、またゆっくりこの街を歩きたくなりました。いつか
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倉敷美観地区は、白壁の蔵屋敷、なまこ壁、柳並木など、趣ある景観が楽しめる人気の観光地です。
伝統的な建物が作り出す町並みや、倉敷川沿いのレトロモダンな風景が、世界中の人を魅了しています。
倉敷美観地区には、倉敷帆布やマスキングテープなどのブランドショップや、
町家を改装したカフェなどが軒を連ね、1年中たくさんの観光客で賑わいを見せています。

「大原美術館」「倉敷アイビースクエア」などの文化観光施設も多く集まり、
1日散策しても飽きることはありません。
また、夜は世界的な照明デザイナー・石井幹子氏がプロデュースした倉敷美観地区の夜間景観照明もぜひ。

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今橋(撮影スポット)

美観地区の倉敷川に架かるアーチ橋です。
大正15年に当時の皇太子(昭和天皇)の来町の際、大原孫三郎によって装飾の豊かな橋に架け替えられました。
欄干には、めでたさの象徴であり、かつ大原孫三郎氏の干支にちなんで
、画家の児島虎次郎デザインによる龍が彫られており、装飾の多い芸術的な橋です。
倉敷川畔の柳並木と白壁の町並みが眺められる美観地区の代表的な写真スポットです。

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大原美術館  (2000円 9〜17)  撮影禁止

昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、
西洋美術、近代美術を展示する私立美術館としては日本最初のものです。
ツタに覆われた石垣の門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれます。
ギリシャ神殿風の本館の中にはモネやエル・グレコなど有名な西洋名画が多数展示されています。
隣接の、分館、工芸・東洋館も必見です。


異文化は共鳴するのか?
このテーマの展示は、丁度明日で終了。
いい時に来ました
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