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 4日目・1126.めがね橋(596m)(2022.11.6)
  碓氷第三橋梁は、群馬県安中市松井田町坂本にある鉄道橋。一般には「めがね橋」という名称で知られている

明治25年(1892年)完成。芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋です。
この形を採用したのは日本ではめがね橋が最初で、高さ31m 長さ91m と我が国最大のものです。
使用されたレンガは200万個を超えます。この4連の雄大なアーチ橋は通称「めがね橋」として、多くの人に親しまれています。

橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りで、国重要文化財に指定されています。
 明治25年4月に建設が始まり12月に完成。芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋で、
川底からの高さが31mあり、我が国最大級のものです。

この4連の雄大なアーチ橋は通称「めがね橋」として親しまれています。
橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りで、国重要文化財に指定されています。
駐車場のトイレが完成しました。ご利用ください。旧熊ノ平駅にはトイレがございませんので、ご注意ください。
 

碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物である。
国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われた。
設計者は、1882年(明治15年)に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘された
イギリス人
技師のパウナル (Charles Assheton Whately Pownall)[1]と古川晴一。

1891年(明治24年)着工。
高崎駅直江津駅を結ぶ路線(後の信越本線)のうち、上述の区間だけが未開通だったため急ピッチで工事が進められ、1893年(明治26年)に竣工した。

もっとも開業直後から強度不足による変形が指摘され、
これに伴い翌1894年(明治27年)に耐震補強名目で橋脚・アーチ部の双方に対する大掛かりな補強工事が実施された。

その後は信越本線の電化を経て1963年(昭和38年)に新線が建設され、アプト式鉄道が廃止されるまで使用された。
全長91 m、川底からの高さ31 m、使用された煉瓦は約200万個に及ぶ。
現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、
1993年(平成5年)には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定された[2]
現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」になり、橋上の手すりや国道18号へ通じる階段などが整備されている。
また、2012年3月に碓氷第三橋梁〜旧熊ノ平駅間1.2kmの延伸工事が完成し、4月1日から横川〜熊ノ平間、全長5.9 kmとなった。

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【レンガ作りの旧鉄橋】

碓氷峠より7.9km・ めがね橋まで1.6km
 
 
 
 
 
 【めがね橋 (旧信越本線の碓氷第アーチ)】
 
 
 
 
 
 
 
 
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 蒸気機関車が通過したら、人力でこの穴に分厚いカーテンを引くことで、
煙が前方に舞い上がるのを防ぐそうだ。
重いので、作業で死者も出たとか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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トンネル歩きしたい方は、大変参考になるなと。

(参考)  2022.11.12 ヤマレコさん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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