ごるぽっこ | |||
上原若菜 |
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西予市主催「地域づくりグランプリ」の二次審査のために用意した、プレゼン原稿です。 ウェブサイト掲載にあたり、読みやすいよう、補足を(括弧)内に加えました。 |
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テーマ |
原稿 |
対応スライド | |
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私自身は、学生時代から国際協力の活動に関わり続けてきました。国内では東京を中心に、海外ではインドや南アフリカなどでも勤務経験があります。生活でも仕事でも、英語に支障ありません。 一家で明浜に移住してきたのは3年前です。私のこのようなキャリアから、同年代の子どもをもつお母さんたちから、 「自分の子どもには英語に触れて育ってほしい」 という相談を受けたのが始まりです。何をしているかといいますと、自宅を拠点に週に一度、親子で集って英語に触れる機会を作っています。地域の英語学校というような取り組みですが、もう少し大きな可能性を信じています。 |
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(一次の書類審査で提出した)活動報告書にも書きましたが、田舎では、とかく視野が狭くなりがちです。この原因は、 「地元の人が外に出て行かない」 ということがあります。ですが、もっと大きな原因は、 「外の人の関心が向いてこない」 ということだと思います。それもそのはずで、現代では、都会と田舎は、場所の意味でも、認識の意味でも、大きな隔たりがあります。私自身が神奈川の住宅街の出身で、この3年間を振り返るとよく分かります。そんな状況にあって、都会の人々の関心を田舎に向かせるのは、なかなか難しい。 けれど海外の友人たちの反応は、違っているんです。私たち一家が、明浜という日本の田舎で暮らし始めるという決断に、大いに関心を持ってくれます。インドから日本に帰国するときにも、「どんなところなの?」「どんな暮らしなの?」と興味津々に尋ねられ明浜の写真を見せながら説明すると、「えっ!? それってダージリンと一緒じゃない!」なんて言っていました。 生活や文化というのは、共通するところ、異なるところ、それぞれあって、はじめて交流しがいがあるというものだと思いませんか。それでこそ「進化」が起こり得ます。 都会はというと、違うところ、新しいものといった、いわゆる刺激に注目しがちなので、一方通行のきらいがあります。そう考えると、私たちの本当の友だちは、むしろ海外の、地域に根差した、生活や文化のある暮らしをしている人たちの中にこそたくさんいるのではないでしょうか。田舎でこそ可能な国際協力の姿がある気がします。 |
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ですが、外からの関心が向いてきただけではダメで、そのとき進化のためには、地域の側が、“ON”でないといけない。 “ON”の例を、2つばかりあげたいと思います。 |
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まずは、スバさんというコルカタの女性です。 主婦仲間と日本語の勉強をはじめた人で、私も彼女の勉強を手伝っていました。その末に、インドでの日本語スピーチ大会でみごと優勝、外務省の招聘で日本へ研修訪問も実現しました。現在はコルカタで日本語を教えています。私たちも、インドでのホームステイなんかを希望する友人には、彼女を紹介しています。 |
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主婦は家庭を守る人、と言ってもよいと思いますが、同時に、エネルギーと可能性を秘めています。この人たちが“ON”であることで、思いもよらない交流が、「田舎と都会」の議論なんかをすっとばして、国や文化を超えて生まれることが、本当にあるのではないでしょうか。 |
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という意味で、私たちの活動は、「地域の進化」の最先端にいることなのかな、と思っています。 集っているお母さんも、子どももとにかく元気いっぱいです。世界に誇れると思います。彼女たちが、英語が飛び交うことに違和感を持たなくなったらと思うと、本当にわくわくします。活動を通して、やはり子どもってすごいな、と思うことがよくあります。 別に英語でなくてもいいと思っています。例えば、交流先をインド地域に限定すれば、私はヒンディー語も出来ますし、夫はベンガル語とネパール語が少し分かります。けれど国際語が英語である以上、英語の方が広がりがあるかもしれません。ひとまず英語を中心にした活動を続けていきたいと思っています。 |
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私の経験からすると、ほとんどの市民団体や国際協力団体が、事務所を都会に置いているのが現状です。ですが、地域文化がしっかり残っているという意味でも、拠点は田舎にこそあればなと思っています。 本日(二次審査のプレゼンのために)お集まりの皆さんとも連携できれば、それはまた大きな動きになるかもしれません。あらたな交流の芽も探っていきたいと思っています。 以上です。御清聴ありがとうございました。 |
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