帰り記号


見放されると感じるとき

 

http://doratomo.jp/~maria_telejia/bachican_home/hattatu_shoogai/hattatu_shoogai.htm

         立木氏は、レールム・ノヴァルム回勅より、発達障害者の労働権を執筆。吉川氏はADHD患者の立場から、その使命なる物を論文化された。私は、ここのページの代表者として、「見放されたと感じる場面」と題して、発表してみようとしている。 著作開始日は、87日・2012年である。ここでは、AJUの山田氏と相談しその結果起きた出来事を、横軸として語ろうとする。縦軸とする文例は、1.「人・金・物・情報」から当たること、2.米日で起きた医療事件を三種類ほど上げて、誰が患者を「見放したのか」を推論すること、3.ホテル・ホスピタル・ホステルなど、語源を同じくする業態の申し送り方法の類似について、4.QC運動なる物の正体とその意義、5.再びAJUと言う企業体に潜む問題点を明らかにして、終説に持って行きたい。 そして、この論文をご覧になる方は、立木論文・吉川論文をして、復習されたい。なお、上記の数字の順番で、語ることは出来ないので、そこは、ゆるく、読んでください。

 

         AJU社を眺めてみる。彼らを批判していると解されると困る。患者として利用させていたただいている介護会社の一つとして、外から眺めた結果値として、読み進まれたい。情報と言う側面からまず進めよう。福祉関連企業と言う分野では、かなり・大きい。社協についで? 規模の大きな企業だと考えられる。しかも、本社と支社の構造が一般企業のそれに近い。社協は名古屋市の中で、北区・東区 などの行政機関毎に組織が点在して、ばらばらな感じを受ける物の、名古屋市のイントラネットと、それぞれの行政区として、繋がっている。AJU社は名古屋市昭和区に本社機能はある。しかし、本社住所の床面積が、徹底的に狭いので、御近所の廃風呂屋だとか一軒家? を借りて分散業務としているらしい。「障害者就労支援事業所 わだちコンピュータハウス」は別に事務所を独立させている。--------

http://www.aju-cil.com/index.php

それぞれの事業ごとに(あるいは社員一人ひとりに?) 職能用パソコンが割り与えられている。「わだち」内に、すべての業務の案内とホームページが併設されているが、職能用のパソコンは、単体稼動(スタンドアロン)のようだし、ホームページとも接続されていない。山田氏にメールしてみる。それらは、紙に情報を落とし、郵便局員よろしく、人力で配達しているらしい。他・企業から見た場合、役員・理事 各位の人柄で仕事を発注していると考えられる。これは、他企業から「見放される」可能性は高い。社内イントラネットを組む場合、パソコンごとにはNTTの電話設備は必要ないはずなので、廉価に接続できるはずなのだが??

 

         人と言う点では、相当に熟練し、仕事のそれぞれの内容が理解されている人材を確保しているな? と言う感触を受けた。それぞれの持ち場における責任分担は、かなりうまくいっている。しかしながら、朝の会議などを取材するに、メモを取っている社員は、ほとんどいないと見受けられた。会社と言う組織は、常にさまざまな危険と隣り合わせである。仕事全体が急変した場合、柔軟な対応が出来るのであろうか。人は「うっかりミス」をしでかす動物である。メモも出来ていないということは、受注伝票も起こしてない場合があるのではないか?  福祉産業は、対価としての金子は、患者本人のほかに、国・支給もある。彼らの業務に対価を払っているのは、まさに患者の私達である。移動介護契約を口頭で発注した時「うっかりミス」にて、移動時刻に担当者が現れない?  介護会社では有り得ないことが起きた。患者にしてみれば「見放された」と感じるのは、それほど無茶だとは思えない。筆者は故に、「わだち」の責任者を経由して、山田氏に、電文で悪態をついた。

 

         「情報」「金」「人」の論文が出たなら、次は「物」だろう。あらっ? 、最後の結語で説明する。ここでは、別の角度から再度「情報」を扱ってみたい。次は、パソコンのイントラネットでは無く、「申し送り」。ホテル・ホスピタル・ホステル、これらは、同じ語源からの職能形態。とある全国ビジネスホテルチェーン店において、8時の始業前に、夜勤と日勤の社員が、社歌などを歌っていたりしている。病院では、患者毎の情報を交換している。これらは、日常的に見かける、ほほえましい光景。まさに「申し送り」だ。この目的は何か。簡単に三つあると思う。報告・連絡・相談だろうと思われる。略して、「報連相」。何を共有しなければならなないか。前日の仕事の、単純ミスの報告・それに尽きる。縦軸ではなく、横軸として連絡を共有、社の上の者に相談事項として上げて置く為の作業だ。上の者は顧客サービスを充実させる為に日々の取締役会などを実行。当該「申し送り」に情報を降ろして行く。人様の名前・もの覚えが悪くて恐縮する。ある科学者は、次のような分析手法を取るが良いと語った。大事故が1回・勃発したとする。その背後には、「申し送り」が不足していた為に見逃されていた、中事故が100回はあっただろうと。幸いに人身事故にはならなかっただけだ。また、当該・中事故の背後には、同じ理由で、10000回の見逃しが存在したはずであると説く。故に、同じ語源の職種は、「申し送り」を最・重点課題としているのであろう。これが出来ている会社には、資本家と労働者との間に横たわる、隠し事は有り得ない。

 

                  QC運動と言う概念がある。企業の体質改善・発展に寄与すること。人間性を尊重し、生きがいのある明るい職場を作ること。人間の能力を発揮し、無限の能力を引き出すこと。 役割と特徴。人間尊重の精神に支えられた、 グループ活動指向の自主的な、 小集団活動で、問題解決の方法として、 QC七つ道具を駆使するQCストーリーを武器とする。@Wikipedia  実は、病院などの申し送りシステムと、無関係な所から誕生したのではなさそうだ。米国において、太平洋戦争中、0戦よりも優れた戦闘機を必要としていた軍が、ロッキードに機体を発注した。男子は戦闘員として招集されている為、女性労働者を多用せざるを得なかった。そこで、プロテスタントの、と・ある牧師が、教会・生活の中で編んでいた方法論を、精神運動として結実させようと。これが発端か。 @Wikipedia の論では、余りにも精神論への説明が顕著。本筋は、筆者の論文「見放されたと感じる時」と、密接に繋がっている。機械・部品・労働力、すべてにおいて、単純さと共通規格化が進められたのである。熟練の無い女子でも、流れ作業が可能なように、部品の設計段階から、徹底して管理されていた。後年、日本で、会社のすべての部門で(トータルで)QCが推し進められたけれども、ロッキード社のQCと日本のTQCは精神論では似通っているけれども、別の物と考えられたい。

 

         要は、鬼畜・大日本帝国を倒すという国策があり、「見放されていない」、つまり、米国流・大本営の側に、女性でも参加できるのである。部品管理は楽だし、作業は、そんなに厳しくない。彼女たちの顧客は、ロッキードや米・軍事産業ではない。彼女らの夫であり、恋人であり、兄であり、弟だ。あるいは息子かもしれないのだ。 自分の愛する人達が長時間運転しても疲れない。しかも、大量・短時間で作らなければならないのである。部品会社から、すでにQCは始まっている。ベルトコンベアにそれを乗せる段階で検品。A女工はその時点で販売員。B女工に完全品として確認のうえ渡す。彼女は部品を取り付ける労働者として働き、検品し販売員として、C女工に渡す。このようにして、B29は製造されて行く。 改善提案は常に行なう権利を持ち、危ない機械であると感じたら、 前・工程や後ろ・工程に、停止を命じれるのであった。これによって、事故率が激減した。 福祉系・医学系・ホテル系 などではない産業で、「申し送り制度」が結実したのである。 かくして、激戦地であっても、部品さえ持ち込めば修理できたのである。

 

         この思想と逆の事件が。数年前、米国・日本、共に起きた。--------------------

http://ameblo.jp/sanfujinka/

天下? の毒舌産科医が、とんでもない情報を二つ、送ってきた。米国・病院での惨事と、東京のキリスト教?  系の病院での、小児科医の過労死事件。 Twitterで流れてきた別の事件では、奈良市? だったか、裏覚え。とにかく、お産患者の救急車タライ回しが原因の、母子・死亡事件。発達障害の私は、母親にいびられた過去を持つ為、自分に起きた事件と感じた。一つ一つ、見てみたい。

 

         米国、とある大病院での出来事。U-Tube において動画された物。保険の無い婦人が救急診療を求めて、待合室に来ている。そのうち、もんどりうって、苦しむ。医師も看護士も、守衛まで、彼女を診ようともしない。そのうち、静かになった。素人目から診ても、あれは、虫垂炎だ。しかし、腸壁の穴かあいたのだろう。肝臓障害も起きていたと思われる。「見放された」のである。米国は民間保険しかなく、また、保険医契約をしないと、開業できないのだ。故に未加入者は、診察が受けられない。医師のほうも無料診察などをすれば、医師・免許はあっても、自由診療を許可されなくなる。良心より、開業権を取るのは、当然だと言えるが、本当にそうなのだろうか。その話は、後でじっくり、書かせて貰う。天下? の毒舌産科医は日本での出来事も伝えて来た。小児科医・過労死事件である。休みなしで、約16時間もの労働を強いられたらしい。産婦人科医・小児科医の不足が叫ばれて久しいが。過労死を労災と認めろ。こう言うことだな。私はカ障連・新潟に無断で、署名して歩いた。許可を取ろうとしても反対されるだけだし、プライバシーを問題にして来る事が診て取れたからである。堂々とやってのけ、新潟大会参加者約500名に対して、署名数38名。はでにやったので、主催者は、止めてくれ・プライバシーが、といって来た。やはりな、と感じた。私、人の命とプライバシーは、どっちが大切だ・と、騒いだ。「そう来たか」で、何も言われなくなった。カ障連・中央としては、二度と本大会には出席させないと言う感じか。 この二つの事例で一定の結論を見出せるとすれば、「見放された」側に立って行動すれば、自分も、「見放された」側にされるのだ。こう言うことだ。

 

         奈良で起きた,妊婦・タライ回し事件は、項目を別に取る。低賃金と重労働に喘ぐ産婦人科医師たちが、体力の限界を超えたのが、この事件の中心。死んだ患者は「見放された」と感じただろう。この事件は、診療報酬を若干・増やして、行くことにより、沈静化して行った。救急車・行政は、患者本人の住まいに近い病院から順に当たって行って、たらい回しを極力・医師たちにやらせない作戦に出た。医師は日本の法律では、治療放棄は許可されない。その趣旨を逆手に取った政策である。産科領域だけではなく、内科・神経科・外科・老人内科まで、すべての科に適応した。それは、主治医を持つ患者に取って、その医療機関の、救急外来は使えないことになる。医薬分業の為に所持している、「おくすり手帳」は存在するとは言え、医者の匙加減が働かないではないか?  この理由により、とある医療機関に対して、私は、診療料金をすっぽかして、しまったこともある。

 

         ここまで進んできて。当該論文の希望読者層を、判定させていただく。カ障連の関係者と会員各位。カトリックの中にあって、「福音宣教誌」の読者達。これが、おもな、私の希望読者の層であります。再び、AJU様の職場での、私が感じた問題点を入れて終わるわけですけれども、今までの論文をまず、結論させる。 1.ホテル・ホスピタル・ホステルなど、語源を持つ企業群は、サービスを出す側と受ける側では対等ではなく、常に送り手が優位を持つ。ここから、「うっかりミス」が発生しやすく、それが、顧客が「見放されている」と感じる場合に繋がり、放置すれば事故になるであろう。故に「申し送り」を徹底的に実行し、事故をも防いでいく作戦を取る。2.「見放されている」と感じない空間に住みたいのであれば、ロッキードのQCなどの組織に、加わっていく方が良い。上の者が少々間違っていると感じても、目を瞑るのが掟。体制依存法則とでも言おうか。3. 米国の医療保障制度。民間保険参加率は高いとされている。ルカ1025節から37節は、故に必要ないと説く、米国・高位法律家。具体的な映像を見せると、医師たちの頭は・動脈硬化を起し、米国では、私のような思想を持つと、診療システムから「見放されて」しまう。これは制度疲労であるが、過剰な民間資本主義体制の崩壊でもあるものと考えている。 

 

         カ障連と言う組織体があり、規約は無いに等しい。しかし、隠れた規約は存在していると感じている。カトリックか、それに近い考えであればプロテスタントでもよく、信徒向けの協賛団体である。で、発達障害等・彼らの掟に、体質的にあわそうと出来ない私はどうなるのだろうか。始めは、視力障害者→聴力障害者の連帯と、まず社会的身分の高い層から接続して行った。それでも、手話を実行しようとすれば、目障りだ・などと、人権を否定される場合があったと言う。その後、身体障害者→精神障害者(神経障害者・含む)まで、連帯が進んだ。AJU社は、身体障害者支援や老人介護ではなく、精神障害者への連帯と支援の企業である。AJUに勤めている組織側も労働者側も、同時にカ障連・名古屋の組織員である。 理解はされていても、曖昧もことされている。また、福祉業に勤めている人間(プロ)としての自覚から、そこに落とし穴はないのだろうか??

 

         AJU社は日常・接触している、精神障害者への目配りは高度・医療機関の、それを思い出すほどだ。しかし、介護士派遣業務も持っている。一人ひとりの患者に合わせて、申し送り書を発行すべきである。 AJU社は、3.ホテル・ホスピタル・ホステルなど、語源を同じくする業態の「申し送り方法の類似」について、の項目を仔細に勉強してもらうほうが良いのではないかと私は思う。筆者はカ障連のやり方に似せて、広域的に項目を作りつつ、「見放されている」と感じている場面はどのようなものか? を論じて来た。 AJU社とは、思考方法が違うのである。AJU社は、利用しているすべての障害者の「カルテ」を作っておいて、利用記録を取る。朝の申し送りを正確にやる事によって、「見放されている」と感じている場面は減っていくと思われる。AJU社の本社事務所。教会の土地の中にある。入りにくい。なぜ、自分はそんな風に感じるのだろう。2階はエレベーターで上がることができ、そこは、障害者の下宿である為、プライバシー権を尊重する為、私は近寄らない。1階は、奥が食堂・手前が作業室。左が面接室。 シャワー室なども備えてはいるが、使わない施設は、物置き場と化している。で、内緒で、どんな物が入っているかと内室を覗いてみた。コピー用紙が黄色くなっているわ、 何が何処に入っているか、責任者がいないようなのである。物に口がついているとすれば、「見放されている」と感じるのではなかろうか??  消耗品と雖も、只では売ってくれない。整理整頓としての、QCとも絡んでくる。ここは、介護利用者の側に立って、改善提案を一つ一つ、積み上げていくしかないのであろう。AJU社には、これからも、期待する。

 

         「見放されている」と感じている、人が0になることは有り得ない。しかし、限りなく0に近づけることが、福祉産業や、カ障連の仕事とすれば、発達障害の立場から、物・申した、当該論文も、利用してほしいと、願わざるを得ない。