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名水百選にも選ばれた涌き水で、古くより城下町の生活水として利用されています。連歌の始祖である飯尾宗祇がこの水を愛飲していたことから命名されました。冷たく、清涼感ある味わいが口内に広がります。 環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水です。 しかし本来は、由緒正しき史跡。
文明3年(1471)連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。 「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」 「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」 惜しむ別れを清泉に託した2首の和歌が残されています。
郡上八幡旧庁舎記念館の横にある鯉や川魚が泳ぐ豊かな用水です。 民家の裏手を流れ、夏になればスイカが冷やされオトリに使う鮎が篭に入れてあったりする光景も。
洗濯場が3ヶ所あり近所のおばさんたちの社交の場でもあったりするのですが、 最近はカメラなどを向けられるのを嫌がって、その数は昔と比べると減ったみたいです。
でも川に魚がいる、川の水でものをすすぐ、なんてことは少し前まではごく当たりまえのことでしたが、 それが名所のなるなんて少し哀しい気がしませんか?
郡上八幡から北へ向かう旧越前街道(別名、上の保街道)が洞泉寺山の麓をぐるりとめぐる辺りが尾崎町。
ここは緑豊かな背後の山から湧き出る6ケ所の水舟や井戸が 「組」と呼ばれる昔ながらの共同体で維持されています。 住民の伝統的な水利用として宗祇水とともにしばしばテレビなどに 登場するところです。
城下の碁盤の目の町割りにそって縦横に流れる清冽な水。 これは寛文年間(1660年頃)に城下町の整備をすすめた城主の遠藤常友が防火の目的のため4年の歳月をかけて築造したものです。
家々が密集し、2度の大火の見舞われた郡上八幡は火事にはとても神経質でした。今でも家々の軒先に下がる消化用バケツはいわばその伝統のなごりともいえます。
御用用水はその主幹水となって城下の下御殿や家老屋敷にも水を供給したことからこの名があります。
御用用水と平行して柳町を流れます。水利用の仕組みはいたって簡単で、各家々が持っている堰板をはめこんで水位を上げ、 洗い物などをするというもの。
当番制の水路掃除はもとより、水をはぐくむ山林管理や水路の維持までひとつの掟のような厳しいルールでこの伝統は守られてきました。 吉田川にそそぐ乙姫川、最勝寺用水をはじめ町のいたるところでこのような水利用の風景は見られます。