土地の系譜に並ぶ仕事
〜Describe the Land in Agriculture〜
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○『ランドスケープ研究』VOL.79 NO.1 掲載(2015年4月)
○公益社団法人 日本造園学会 発行 |
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うえはらゆうき |
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愛媛県西予市明浜町狩浜地区、この海辺の村に家族で移り住んで6年、就農して4年目を迎えている。 |
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急斜面に築かれた石垣の段々畑が、集落をぐるり囲っている。見学に訪れた消費者に、『ようこそ! 遺跡が現役の里へ』と案内したことがあるそうだが、よく言い表していると思う。現在では主に柑橘が植えられ、農地全体を地元では「みかん山」と呼ぶ。人間が関わることを止めないまま、生きた景観として在り続けている。 |
ここが僕の仕事場、点在する園地をあわせて、約1.2haの農地を管理し、柑橘類を中心に、梅、アボカドなどの果樹有機栽培に取り組んでいる。現在は、所属する農事組合への出荷と、クチコミの直接注文に対応しているが、生産物と技術が充実してくれば、お届けする範囲を他方面にも広げていけるだろう。全園地での有機栽培化を目指すのは、園地に浸透した雨水が、集落の地下水、目前の海を汚さぬよう、ジイやん、オッチャンとしか出会わないみかん山が、安心して子どもを連れていける場所に復活するよう、そう願ってのこと。けれどもう少し、自分のしていることの位置づけを整理したいと、以前からいろいろ調べてきた中で、呆気にとられたことがある。 |
「農」という字は、「田畑の土を柔らかくする。かたい土をほぐしてねっとりさせる」という意味の字。こういう“農”の作業は、僕たちの果樹栽培にはほとんどない。では“栽培”と言った場合はどうだろう。「栽」は、「植物の枝葉をきって、形をととのえる。はさみを入れて植物を育てる。また、草木をうえる」で、「培」は「草木の根もとに土を乗せかけて育てる」という意味とのこと(学研教育出版の『漢字源』改訂第五版より)。目からウロコ、これこそ僕たちの仕事である。近代農業はここに目を向けてきただろうか。“農”から解放されて、この視点から捉えなおしてみると、また興味深い。
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果樹栽培は、木と長い付き合いになる。いま育てている苗木とは生涯に渡るかもしれない。自分の年齢よりも長い時間、ずっと立ち続けてきた木にも、畏れながら刃物を当てる。そのために枝の一本、葉の様子から、土の中をおしはかる。相互作用を思い描くと、めまぐるしさに動転する。踏み止まるように、この段々畑から環境全体にまで意識を広げ、循環に思いを馳せながら、その歴史、未来と交信する。少し大げさかもしれないが、農のランドスケープを生み出すこの職業とは、そんな風にして、土地の系譜に並んでいく仕事とも言えそうだ。崩れた石垣を直すのも、それゆえ生産性を維持するという目的以前に、純粋に愉しいものである。土に触れる、木のひとつ一つと向き合う、日々の作業を通じて、人生観を自分で発見するようなところも確かにある。 |
新規就農しようという人間にとって、そこには、現代社会への反省といった意味合いを含んでいるものではなかろうか。だからこそ担い得る役目のひとつが、食べ物の生産と消費のあいだを表現してつなぐこと。そう考え、みかん山で発見したこと、暮らしの中で考えたことなどは、『メッセージ便り』として綴り、年に数回更新して農産品の発送時に同封する。自分たちで運営するウェブサイトでも公開してきている。現場側の人間となってからも、新たな価値観が育まれる社会認識の形成に取り残されぬよう気をつけつつ、これからも大好きな果樹栽培に向かおうと思う。 |
移住当初は3人だった家族は5人に増えた。子どもが行きたいと言えば、なるべくみかん山にも連れていくことにしている。改修した古民家での暮らしも楽しい。連れ合いと家事の負担を補完し合う生活スタイルで、ここでも主夫としての役割を担っている。苗木育成中の園地が多く、農業としての経済的自立にはまだ時間がかかりそうだが、それまでは、他では得られないこの時間を、せっかくなのだから大切に過していきたい。 |
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