『住む。』41号(2012年春号)に、「今あるものを生かす。」という特集の一部として、
かんまん部屋の暮らしが紹介されました。
この誌面に掲載された私たちの文章です。
○「住む。」41号(2012年春号)掲載(一部、加筆・修正)
○泰文館 発行

 


場所を見つけ、棲む。 うえはらゆうき


古い民家の改修とスラム

 大学を離れて、あるNGOにいたときのこと。ネパールでストリートチルドレンと広義に呼ばれる子どもたちへの支援活動に従事する傍ら、業務の中では知り得ないことを発見したくて、街なかをよく歩いていた。ある日、貧民占住雑居群区(筆者による造語。以下「スラム」)に迷い込み、スケッチをとっていると、それを見ていたこのスラムの住人に招かれ、彼の家でネパール紅茶とビスケットをご馳走になった。初めてのスラム体験だった。
 丘陵部出身の一家だった。長い道のりを、そろって都市部まで辿り着き、既存のスラムの端っこに棲みついたと言う。きっと、同じような境遇だった同郷、同民族の先達が手助けしたことだろう。近くで安価に手に入れたもの、道中持ち歩いたもの、そしてそこらにあるもので作り上げた空間は、生きる力に溢れている。生き抜く姿に心が震える。近代の矛盾に無頓着なようにも見えるこの場所を、当時はどう受け止めるべきか分からなかった。
 かんまん部屋の改修工事中、あのスラムの家をよく思い出していた。元の民家は築百三十年にもなる。永い時間、ずっとそこにあったという柱、梁、屋根。言ってみればそれらは、この風土の一部だろう。そこに場所を作り、棲みつくということは、実は共通する、大事なことがあるのではないか。
 場所を見つけること、その場所で何を必要として生きていくのかを見極めること。それに応じて不要な土壁を取り壊し、根元の腐った柱を補修して筋交いを入れる。釘を打つ。土間を叩く。使い物にならない廃材は自分たちのみかん山に入れる。あるいは薪にする。豊かさは、家族の成長とともに培っていく。
 わずか三軒隣りの市営住宅からの引越し。段階的に、少しずつ運び込んでいった。すると、何かの暗示だろうか。寄せ集めの家具や荷物をこの土間に配り並べていくと、その雰囲気は、あのスラムの家を彷彿とさせた。冬の風が障子戸をガタガタと震わせて、何だかリアルだ。思わず連れ合いを呼び寄せて、二人で大笑いした。今も続けている空間作りの材料は、廃材であったり、みかん山に落ちていた鉄管や猪が掘り返した石垣の一部であったり、ますますそれらしい。


スラムの彼の家


庭を作っている様子


私設の公民館のような

 かんまん部屋の「かんまん」とは、この地方で「構わないよ」「OK」といった意味の方言。これに「家」ではなく、あえて「部屋」の呼び方をあしらったのは、所有格のつきにくい、もっと風通しのよい意味空間を意図したから。この集落内外の人たちにとって使い勝手のよい場所になるようにとの思いを込めた。
 もとよりこの集落の人々の家には、来訪者を歓迎し、もてなす気分がある。集落の家屋群の終点から川筋を上っていくとまもなく、「お客様」を祀った祠があるが、それと関係するかもしれない。さつま汁、ひゅうが飯といった、他所の地名を冠するものが、この地域の郷土料理のひとつとなっており、海路よりもたらされた情報、知識によって、幾度となく救われたのだろう。
 年に一度の秋祭りでは、玄関先に御神燈を掛けている家には、誰が入ってもよいことになっている。ご馳走が並んでいて、「まあ、腰かけてや。まあ、飲んでや、食べてや」となる。警帑(ケド)を着た神輿担ぎ役などは、「よう来てくれた」と大変喜ばれ、何軒も回る。
 かんまん部屋では、来た人を歓迎するというより、日常的に社会化された場所にしておくことを、心掛けていたい。空間はそもそも誰のものでもない。それゆえに棲みつくこともできるのだし、ならば提供もできるようにしよう。この思いは、家族で明浜に移住してすぐの頃から、連れ合いが同年代の子どもを持つお母さん仲間と続けている『ごるぽっこ』という活動の拠点として、ひとつ実を結んでいる。母子が集って英語を楽しむ活動で、おかずを持ち寄って、最後は皆で一緒にごはんを食べる。


『ごるぽっこ』でお好み焼き


暮らしを解いてしまう

 日常生活においても、地べたと連続している一階部分は、特に開かれた雰囲気にしておきたい。僕らが必要とする最低限のプライバシーや私物は、いつか離れを改修しておしこめて、できれば母屋からなくしてしまいたい。真夏の熱気こもる寝苦しい期間は別として、寝床に座敷は利用せず、屋根裏に上っているのも同じ思いから。
 その座敷には、もとあったふすま戸は取り外してカーテンレールを取り付けた。古サリーを重ね合せた、肌さわりの良い、ベンガル地方の刺し子生地(“Kantha ”という)を洗濯バサミで吊るしている。端に縛れば全面開放できるし、子どもは閉じたままでも行き来する。庭へのつながりが柔らかくなった。庭に面したサッシュのガラス戸のカーテンも丈の短いレースのみ。座敷が地面より高いため、通りかかる人と顔を見合すことができ、来訪者であれば玄関へ先回り。気持ちよく出迎えができる。夜は暖色光が漏れ出し、その時間帯の出入りの多い僕自身が、安心を実感している。
 川筋の道に面した障子の音漏れも賑やかなものだ。子どもが大声で泣いていると、仲よくしてもらっているバアやんが何軒も先から駆けつけてくる。向かいのバアやんがおやつを持って、遅れてあやしに出てくる頃には泣き止んでいて、その場で井戸端会議が始まったりする。今度はそれを、僕たちが笑いながら眺める。


川面障子戸の格子
 


このムラの《いなか人》

 平地が少なく、この集落の家屋は甍どうしがくっつき合うように建っている。そのすぐ背後から石垣で段々畑が築かれ、天まで続くようにそそり立っている。遺跡のような、見るからに条件不利なこの場所が、現役の生産現場として続いている。運搬用のモノレールも、トラックを乗り付ける農道もない時代から、この段々畑と向き合い、農業を営んできた老人たちが、今となっては、石垣を積んだ経験を持つ、最後の世代だ。
 この人たちの共同作業は祭りのよう。それぞれの作業は、得意な者が自然に腕を揮い、周りが一言二言声をかけて囃し立てる。段取りがいい。要領がいい。不思議なことに、予定した作業はいつも、時間通りにしゃんと終了し、さっと引き返す。この後は決まって慰労会がある。たいていは昔話に盛り上がるものだが、「俺が総理大臣になったら混住を進める。そうしたら戦争は起きんがよ」なんて真面目な話が始まることもある。
 里山や海から必要なものを取り出す知恵。癖になってしまった、熟練の省エネ技術。見習いたいものだ。彼らが捉える生活の空間は広く、また細部に渡っている。彼らこそは《いなか人》。地域に根差した暮らしを送る、真の国際人だ。通訳などなくても、身の回りのモノや環境に精通した《いなか人》同士なら、実際にやってみせることでより深く意思を疎通できる。民際の時代とも言われるが、市民運動や国際協力に携わり、海外暮らしも経験した僕たちは、こんな人たちに敬愛、憧れの念を抱いている。
 ひたすらに農民であること、それが、この地域の遺伝子に刻み込まれた、いなか人への確かな道だと思っている。かんまん部屋の風通しも、もっと遠くの世界まで吹き抜けることだろう。農業にもいろいろな立場があるが、分かること、賢く語ることより、実際にやってのける人間でありたいと思って農民であることを選択したが、そのおかげで、みかんの木と向き合う喜びを味わっている。枝の一本、葉の様子から、土の中をおしはかり、循環に思いをめぐらす。いつの間にかこの段々畑、その歴史、未来と交信している。



お昼休み。
この日は縁側でランチ。






子どもたちと私の毎日 上原若菜

 朝、同じ布団で寝ている長男の朱座(すくら・1歳)がモゾモゾすると、私の一日が始まります。起きたて一番で立派なウンチをするので、一直線にトイレに向かい、一緒に便座に座ります。朝はこれでOKなのに、日中はそうはいきません。どうしても庭でしたいみたいで、豆腐の空パックを持っていき、これでウンチをキャッチします。外でのウンチ・オシッコが爽快なのか、横を通る人にもニコニコ。長女・梅音(うめお・3歳)は、たいていもう起きていて、みかん山に出かける連れ合いに、熱い見送りの言葉を繰り返し叫びます。叫ぶだけ叫んで、よいしょ、とコタツにもぐりこむと、朝食に呼ばれるまでゴロゴロ。
 この後が、一日の流れを決める大事な時間。10時の地域放送で流れるエーデルワイスの曲は、梅音と朱座にとっては散歩の合図。おやつを食べておかないと昼まで持たないし、これより後では昼食に支障が出る。洗濯物を干し、昼食の用意と、夕食の下準備までしておきたいところ。家の隅々まで使って、子ども二人もせっせと遊びます。本物の鍋やザル、冷蔵庫の外に置いてある根菜類や紙やおもちゃなどで調理ごっこが始まることも。ある時、魚焼きグリルを引き出したら、中に人形が横たわっていたのにはびっくりしました。
 10時、さぁ出発。朱座は三輪車にまたがり、梅音は「駅伝、駅伝!」と小走り。夏のプールが恋しい梅音は、散歩にも水泳帽とゴーグルをしていきます。歩いていると、次から次へと出会うのは、畑や買い物に出ているジイやん、バアやん、オッちゃん、オバちゃん。みんな、何かあげるものはないかと一生懸命探し始めて、可笑しい。果物をもらい、野菜をもらい、お菓子をもらい、果ては蔵を整理した時に見つけたから、と食器をもらい、衣類をもらい……もう持てませんので、後で取に来ます、なんていうこともしばしば。帰ってくると玄関先に野菜が置いてあることがあり、心当たりの人にお礼を言いに行くのが、午後の散歩コースとなります。
 午後の散歩は3時から。連れ合いも一緒にみんなでお昼ご飯を食べた後、梅音がいつも遊びに行く、大の仲良し、よんちゃん(84歳)のところから帰ってくる時間です。3人で、さぁ今度はどこに行こうか、と話し合って出かけます。それまでに洗濯物を取り込み、夕飯の支度、薪風呂の準備。「夕焼け小焼け」が流れたら帰宅して、一直線に風呂に入ります。
 目いっぱい動き回った子どもたちは、夕食が済むとすぐ寝着きます。そこで一息。連れ合いとおしゃべりしたり、メールをチェックしたり。翻訳の仕事や、季節によっては大漁の魚、猪の足が骨ごとどーんと届いたりして、真夜中の台所が動き出すこともあります。明日の献立をざっと考えて、そろそろ私も就寝。
 連れ合いは季節によって時間の流れが変わりますが、私たちは散歩が中心。ここで子育て孫育てをしてきたご近所さんとの立ち話に、花がさく毎日です。



離れで遊ぶ二人



 

『住む。』41号表紙




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