ブッダガヤ訪問記
○「サマンバヤ通信」(2009年4月)掲載
○サマンバヤの会 発行
うえはらゆうき

 その数ヶ月前に一度訪れたことのあったBodh Gayaは、僕たちのような外の人にとっても、ここで商売をする人にとっても、シッダールタが悟りを得た場所ということにのみ頼っている町。これが自信なのか諦めなのか判別がつかない。そんな印象でした。
 再度訪れたのは2008年3月のこと。コルカタへ移り住んで、まだ1年に満たない頃です。かねてよりお世話になってきている大橋正明氏がサマンバヤ・アーシュラムを拠点に、農作物に関わる付近の人々について調査すると聞きつけ、志願して同行させていただきました。調査は農業や園芸の生産者ばかりでなく、その加工と販売に関わる人々へのインタビューにも及び、この地の全く違う側面を覗かせてもらいました。
 と言っても、誰が何を言っているのかほとんど分からない僕は、同じく同行したヒンディーのできる連れ合いに通訳して貰いながら、携わってきていた日本の農山村の地域づくりの経験と大学で勉強した都市計画の知識を頼りに、頭の中を回らせていくだけです。しかしすぐ分かるのは、話を聞く人の多くは、必要のない人との接点をほとんど持つことなく過ごしているだろうということ。すると話の内容が疑わしく感じられたり、どうしようもないような見栄がちらつきます。こうなると必要となるのは自分の人間性と経験を手がかりにした弾力的な解釈ではないでしょうか。この調査を決行できる大橋氏に感心しました。また、宿泊させていただいたこのアーシュラムを目の当たりにしながら、様々な運動とその中で展開されてきたいくつものエピソードを聞くにつれ、思想を持ち続けて生きていくことの難しさと弊害が、モヤモヤと漂ってきます。
 大橋氏の調査とアーシュラム、コルカタに帰ってきて、すぐ思い返して書き留めた感想のメモには「なんだか、思い返すのも容易ではない」とあります。そんな数日間の旅でした。
 それでも、ドワルコ氏と対面したときには「少なくともこの人だけは、本物じゃないか」という強烈なインパクトを受けました。木陰に上半身裸で、どでん、と座って新聞などを読んでいた姿も焼き付き、その時に残った印象をもとに描いたのが拙画です。ここに移り住む以前、僕を叩き上げてくれた、戦後から農村一本で土にまみれてきた愛媛のジイやんらと印象が重なることもあり、彼だけは、きらきらとした、凛としたその雰囲気まではっきりと思い出すことができます。


 



以前、Bodhgayaを訪れたときに
スケッチした大菩提寺
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思い出しながら描いたドワルコ氏
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