梅の緒 〜前編〜
○「インド通信」(2009年2月)掲載
○インド文化交流センター 発行
上原若菜

 昨年10月にコルカタ市内の病院で娘を出産し、今ではコルカタで連れ合いと3人暮らしをしています。この街での妊娠・出産・育児の経験から垣間見ることが出来るコルカタ、あるいはインドの雰囲気を連れ合いと分担して、前・後編に分けてお伝えします。
 検診で訪れた病院でまず目に留まったのは、壁に打ち付けてある「胎児の性別判断は法律で禁止されています」というプレートです。さらに超音波検査の際には毎回「性別を医師に尋ねません」という宣誓書に署名しました。「ダウリ(持参金)」などの背景があって、男児を好み、女児であった場合に奪胎してしまうケースが未だにあるからでしょうか。それまでインドでの出産になんの躊躇いもなかったのですが、この時にふと、ここがインドという社会だということを改めて感じて少し緊張感が走ったのoでした。気分転換にと立ち上がってトイレに行くと、女性用のトイレの扉にはサリー姿の女性をモチーフにした標識。一方私がその日身にまとっているのは、友人からもらったインドネシア産のワンピース。一筋縄ではいかない予感がよぎります。
 妊婦になってみて街を歩くときも注意深くなるようになりました。そこで感じたのは、「妊婦なのに全然気遣ってもらえない!」ということです。そして改めて気づいたのですが、コルカタの街には「妊婦らしい」体系の人が老若男女問わず本当に沢山います。検診で訪れる病院で妊婦さんを見慣れている私たちでも、街行く立派なお腹を携えている女性を見て、妊婦かどうか見分けるのはなかなか難しい程。気遣ってもらえない文化なのか、はたまた気づいてもらえてないだけなのか。地下鉄やバスで席を譲ってもらったのは妊娠期を通してもたった2回程だったでしょうか。
 当初、自宅出産や出来るだけ自由で自然な形での分娩を方針としている産院やお産婆さんを探していたのですが、市内ではとうとう見つけることが出来ずじまいでした。むしろこの過程で知ったのは、インドでは帝王切開志向が大変強いということ。同世代のベンガル人の友人に聞いてみても、帝王切開派が少なくありませんでした。痛みが少ないと信じて希望する妊婦や、分娩スケジュールを管理しやすいといった医師の都合もあるかもしれません。それを知ってちょっとどっきり。出来ることなら普通分娩を希望していた私たちも、一体どうなることやら。
 担当の医師はというと、迫力のあるサバサバした中年の女医さん。検診はいつも長蛇の列で、自分の前後の人も同じ検診室に入れられどんどん流れるように診察を受けていきます。なので、自分の前後の患者と医師の会話も丸聞こえ。プライバシーも何もありません。順番待ちをしていると、カーテンの向こうから増え過ぎた体重を激されていたり、尿道感染を告げられていたり、帝王切開の日付を指定されていたりという会話が英語、ヒンディー語、ベンガル語で次々と聞こえてきては、私をどきりとさせました。
 そんな医師からの指導内容は特段変わったことはありませんでしたが、それでもいくつか惑ったのは、妊婦は必ず破傷風の予防接種を打つということ、そして「毎日牛乳(あるいは乳製品)を1リットル摂取すること」というものでした。牛乳1リットルは飲みすぎではと思いつつも、えいやっとばかりに続けていました。また、人気の路上スナックや旬になるのを楽しみにしていたパイナップルやパパイヤを食べてはいけないと言われたのも切なかったのですが、こちらは仕方がありません。
 そうして妊娠期はあれよあれよという間に過ぎ、結局予定日よりも3週間早く私は分娩室にいました。分娩室には足を乗せる台のついた大きなベッドが真ん中にどかんと据えられ、その周りをサリーの上に割烹着のような白いエプロンを着た担当医、看護婦さん、そして何のためかはよく分からないのですが他にも医師らしき人が部屋を出たり入ったりせわしなく動いています。その分娩台からは次の分娩を待機している人たちのベッドが見えます。私が分娩台に移った時には、次の人の陣痛もほぼピークに来ているようでした。苦しくてしきりに叫ぶ彼女の台詞は「アレッ バ!アレッ バ!!!!」(「Oh my goodness! 」とか「あらま!」というニュアンスですが、この場面では「なにこれ、うわっ あいたたたた・・・!!」という感じでしょうか?)。声も出さずに陣痛に耐えていた私ですが、そんな彼女の絶叫は意外にも滑稽で、「そうそう、私、今コルカタで産んでるんだよなぁ」とやけに冷静になりつつ、この騒がしい分娩室の中でウンウン苦しんでいる自分の姿を思って変に笑わずにはいられませんでした。
 そんな風にのんきに、でも必死に陣痛と付き合っているうちに、お腹の小さな住人は元気に「ずるん」と出てきました。
 「外国で出産なんて不安ではないの?」とよく心配されましたが、私自身初めての妊娠・出産だったので比較体験もなく、上述のこと以外はとりわけ気負いも不安もありませんでした。ですがふとした時、いざと言うときに、この街に相談できる現地の友人らがいたこと、病院では英語もヒンディー語も伝わるので私自身としては言語に不自由がなかったこと、そして家事全般を担っている連れ合いの活躍があったから無理なく過ごせてきたのだと思います。
 妊婦でいる間は、日々大きくなるお腹を運びながらまだまだ暑いコルカタの街を地下鉄と徒歩で出勤していました。職場の日本人には心配されましたが、車やオートの揺れも辛く感じられる頃には、歩くということが一番安心、運動にもなるのでちょうど良かったと思います。また、そうして街を歩いていると、最初は「気遣って(あるいは気づいて)もらえない」としょげていたものの、その理由がもしかしたら女性が着ている服に原因があるのかも、という発見もあり愉快です。というのも、妊婦も特にマタニティー服を着るというわけではなく、サリーやサルワーズ・カミーズと呼ばれるインド服を着ています。下着も特別なものは売っておらず、単純に大きなサイズを買うだけだと友人から聞きました。マタニティー衣類が一つの大きな商品群となっているイメージでいたので最初こそ戸惑いましたが、もしかしたらここでは、妊婦であることはそんな特別なことではないのかもしれません。ちょっと肩の力が抜けました。
 産後の4日間の入院も、なぜか多いインド北東部出身の看護婦さんたちには顔の系統が似ていて親しみを持たれたのかやたら親しくしてもらい、また回復も早くて快適に過ごすことが出来ました。前評判通り、値段も高めですがサービスの質も高く、インド料理の入院食もおいしかったなぁ。最後は私自ら娘を抱えて元気に家に帰ってきました。
 毎日たくさんの子どもが生まれるインドで、我が家にもインド生まれの仲間が加わりました。特別なことは何もありません。ただ、彼女が私たちとインドの縁を一層深め、またこれからもさらに深めてくれるのではないかと秘かに期待しているところです。


 


生まれたのを聞きつけて
同じフラットのおばちゃんらが
次から次へと

娘、梅音(うめお)と
「アレッバー!」さんの息子ゴゴルくん。
体重差は衝撃の4kg以上!

【筆者について】
上原若菜(うえはら わかな):
1983年生まれ。学生の頃からの国内外でのNGО活動やインドとの縁で、現在は在コルカタ日本国総領事館の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」外部委嘱員としてコルカタ在住。2009年3月末までの任期までの間、コルカタにお出での方はぜひ我が家にもお立ち寄り下さい。


 
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