コルカタ満月記 第15話
 〜 ドナーの立場で思うこと 〜
○「草のみどり」(2009年2月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

●今の時期の「草の根」

 コルカタでの二度目の年末を迎えようとしています。これがひとまずコルカタでの最後の年越しだと思うと、何だかしみじみしてしまいます。その一方、この時期の「草の根」は十月の贈与契約式を経て、本年度の助成案件たちの建設作業が実際に始まるなど、動きが感じられる段階でもあります。



贈与契約式の様子。
総領事とNGOの代表者たち。

日本語を学ぶベンガル人の
お母ちゃんたちに囲まれて。

近所のおばちゃんたちが
赤ちゃんを見に頻繁に訪れます。

子育て経験が私の経験値を
深めることを願って。
 

育てる方も育てられる方も、
眠い眠い。

 

●「こちら側の向こう際」の限界地

 さて以前、「こちら側にいながらも、向こう側に近いギリギリの際に立ちたい」と書きました(第十、十一話『こちら側の向こう際』)。ですがよく考えてみると、私がどのような態度で臨むかに関わらず、委嘱員という立場は申請団体や実施団体にとって、「こちら側の向こう際」に違いはありません。他ならぬ私たち委嘱員が「草の根」のスキームの説明や、計画案へのアドバイス、時には駄目出しなども行うのですから。委嘱員は「草の根」の最前線に立っているのです。
 では、その最前線の限界地とはどこにあるでしょうか。これは、「草の根」というスキームによって、初めから規定されているのかも知れません。現地で活動を展開するNGOなどに、そのギリギリいっぱいのところまで利用してもらうために私に出来ることは何か、ということだと思います。そのためには委嘱員として、スキームの可能性と限界についてよく知っている必要があります。


●個人としての経験値

 実はこの十月に、コルカタ市内の病院で娘を出産しました。それ以来どの案件に対しても同様な冷静な姿勢で読み込みをしているつもりでも、「母子の健康」や「乳児死亡率」といった内容に対して以前よりも注意がいくようになり、また病院などの不足によって不都合を感じている人々に思いを馳せてしまう自分に気がつきます。
 計画案を読み込む際の大前提となる姿勢は「誰にでも分かる論理的な説明で現状が説明されているかどうか」です。今の時期は昨年同様、来年度に向けて大量の計画案の読み込みが始まっているので、自分の強烈な体験が少なからず計画案読み込みに影響を与えることになるかもしれない、と心配しています。ですが一方では、実感を伴うことで団体への質問や確認項目の質も現実味を帯びた鋭いものになっているとも思うのです。感情的になってしまわないようにきちんと気をつけてさえいれば、個人的な経験値は、いくら積んでも悪いことではありません。


●身の回りにある開発の現場

 このような考え方をしてみると、案外、身の回りに開発の現場は溢れています。基礎教育の普及、障害者との共生、女性のエンパワーメント等々、あらゆるイシュー全てに対して、直接的で強烈な実体験を求めることは現実的ではありません。だとしても、自分の身近にあるところで小さくとも共通する感覚を見つけることができたら、「こちら側」にいても「向こう際」に寄る鍵があるのではないかと思います。その場所は、家庭や職場、自分の育った地域かもしれませんし、何も特別な経験をする必要はないかもしれません。
 例えば、落ち込みがちな同僚をいかに気持ちよくエンパワーメント出来るでしょうか。気難しい上司と上手く付き合いつつ、でも臆すことなく上手い具合に話を進めることは出来ないでしょうか。地域活動に馴染めない近所に住む外国人の家族とどのように付き合えばいいでしょうか。グループで意思決定をする際に、なかなか発言出来ない人の声をいかに拾い上げることができるでしょうか。他にもまだまだあるでしょう。どれも国際協力、あるいは開発援助の現場でよく聞くテーマに共通する要素を含んでいるように思われます。こんな様子にまで思いを馳せつつ、計画案を読み込み、団体担当者とコミュニケーションをとるのはとても臨場感があって、楽しいものです。
 このような態度で仕事に臨むことで、これがいい成果に結びつくかどうかは分かりません。しかし私自身は、よりよくこの仕事と向き合うことが出来ます。申請された計画案を自分のことのように考え、さらにその視点で「草の根」のスキームを見直し、計画案の実現可能性についてより鋭く考察できるのではないかと思うからです。だからこそ、スキームをよく知ることがとても大切だと考えるのです。


●予期せぬ計画変更に対して

 最近、こんなこともありました。
 助成を受けた計画の建設作業が実際に進むにつれて「予想通り」、想定外の出来事が待ち受けています。それは団体から受ける、計画を一部変更したいという旨の相談です。それぞれの計画案は、半年以上もの長い選定過程を経て綿密に練られた(第八、九話)末に承認されたものですから、計画案の変更は原則的に認められませんし、そのことは契約書にも明記しつつ団体に対して何度も説明してきています。だからこそ、案件形成の段階でお互い本気で取り組むわけです。
 先日受けた計画変更の相談の内容は、建物の配置計画全般を変更したいというものでした。彼らは「こう変更した方が裨益者のためになる」「よく再検討した結果こうした方が良いと思った」「地元の権威者からアドバイスを受けて・・・」と説明します。現実的に考えればとても理に適っている内容です。長期間に渡って地域の人が利用する施設の建設ですから、実施団体も裨益者も満足できるものを造ってもらいたい。ですが私たちは「不可」と返答しました。団体の側からすれば、虚無感すら覚える厳しい態度かも知れません。
 「草の根」は、公益的な事業をおこなうことを目的に、現地NGOなどに利用してもらうために用意された助成金です。これが用意されるにあたっては、多くの正式的な手続きを経ています。だから「これまで半年以上かけて苦労してきたのだし、団体の言い分も理解できないではないから、何とかしたい」という、私や同僚の個人的な思い入れを挟むべきものではありません。これはシンプルで、かつとても大切な約束ごとです。この計画変更を認めることは、この約束を破ることになりかねませんし、団体の計画作りの甘さを認めることにもなってしまいます。
 もちろんやむを得ない計画変更もあるでしょう。例えば、異常気象で雨季が建設予定の時期にずれ込めば完成が遅れる見込みが立てば、運営開始時期を見直さねばならないでしょう。実施地のある自治体の条例に改定があったために、配置計画の一部を変更しなければならないといった場合もあります。こういった、計画の趣旨に反しない範囲での小さな変更、あるいは不可避的な要因でのやむを得ない変更は、団体からの事前申請があれば基本的に認めていくことになっています。
 私はインドそのものや、NGOの存在に強い思い入れを持って、この仕事に臨んできています。そして現地NGOの計画案が承認を受け、助成を得て実施・運営に辿り着くまでに、私なりに苦労や努力をしてきたはずです。ですがそういった個人的な態度とは無関係に、譲ってはいけない領域もあるものです。委嘱員として、筋の通った対応をしていかねばなりません。これは私が前任者から、そして私の後任者へと引き継がれていく、「こちら側の向こう際」にいる委嘱員の基本的な立場です。


●今の私

 今回は、実を言えば実施団体から申請のあった計画変更についてのトラブルをきっかけに、「草の根」のスキームについて振り返って考えたことをまとめてみました。この中で、彼らと直接やり取りをする私自身が、彼ら側のまさにぎりぎりの「際」にいる存在に違いないと気づきました。
 に着任してから色々なことがあって、「草の根」の可能性と限界についてはよく考えてきました。私生活では子育てが加わって、新たな経験値も積むことが出来ています。今、これまでにない充実感を持ってこの仕事に臨んでいます。二〇〇八年の年の瀬は、しみじみしながらもとても良い気持ちで迎えられそうです。


 
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