教育について考えたこと | ||
○「DEEP
INSIDE」(2008年5月)掲載 ○ワイルドインベスターズ 発行 |
うえはらゆうき |
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少し前、Bodh Gayaへ一人列車旅行をしたときのこと。向かいの席の青年は、普段はバンガロールで暮らしているとのことでした。ソフトウェア開発の仕事をしていて、やはり向こうの大学を卒業したのだそうです。 彼が降りたのはほんの小さな駅でした。電車が走り出すとだだっ広い田園へと間もなく風景は変わります。彼自身も言うように、おそらく「ほんの小さな村」の出身なのでしょう。2日間電車に乗りっ放しで、クリスマス休みに家族に会いに帰ってきたのでした。 こういう風に、田舎の村から最先端の人材が排出される背景というのは、どんなものでしょう。日本の場合と単純に比較することは出来ないと思いますが、僕がこれまで各地の地域づくりに関わる中では、1,000〜2,000人を単位として割った村に一人、「息子を東大へやった」なんて話があれば、冗談かどうか「あそこの家は、結構貯めこんでいたはずよ」なんて声が聴かれたものです。都市と比べれば当然、塾といった補習環境も充実していないはずです。 そんなことを思い返すと、列車の彼自身も彼の家族も、熱心に勉強し、またさせてきたのではないかと思えてきます。親族総出の努力があったのかもしれません。 |
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そこまでのものかどうか分かりませんが、コルカタには日本語を熱心に学んでいる人が少なからずいます。都市としては日本人居住者が少ないこの地域では、自然、そういった人たちと知り合いになる機会も多くなります。先日などは、知人を通じて「日本語学習のテューター(tutor)をしてもらえないか」と依頼されたのですが、希望しているのは四十歳を過ぎた主婦業の女性だと聞いたときには、少々驚いてしまいました。 コルカタでは小さい時からtutor(ここでは「授業外補習」「家庭教師」などの意でよく用いられる)を受けるのが普通で、家計に余裕のあるところではみんな受けているのだそうです。クラスの全員が受けているということも稀ではないとか。勉強するのは、進学に関わる試験合格に必要な教科の補習であったり、高等教育で求められる英語といった具合だと思います。熱心なことです。 「教育」というものは一般に、それ自体が独立して存在しているものではなくて、どんな人材が"社会"に求められているかとか、その後の"生活"をどう見据えるか、ということと連動して提供される"枠組み"のようなもの、と見ることも出来るでしょう。逆に言えば、教育にまつわる状況を見ることによって、その枠組みを提供する社会がどのようなものであるかを逆照射することが出来るのではないかと思います。先の列車の彼の件もそうかもしれませんが、インドという国全体が、その末端のひと筋においても、何かに向かっている雰囲気というものを感じてしまいます。 |
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しかしtutorが盛んだということは、裏返せば学校教育が信頼されていないということでもあります。 教科書ばかりを使用した独創性のない授業、暗記第一、試験の点数中心の教育システム。そんな風に揶揄されることもありますが、その価値観の善悪はひとまず置いておくとして、そのための教育を提供できる教員が不足しているということになります。全く当てにせず、学校で助かるのは給食だけ、といった極端な考え方もあるようです。中には学校の先生にまるでやる気が感じられないために、実際の勉強はまるごとtutorで習っていたり、あるいは逆に自分の学校の生徒に夕方tutorしている先生なんていうのもよくいます。 ついていけないために、多くの子どもが自然と学校に行かなくなってしまっている現状は、様々な機関、市民団体などが指摘しているところです(原因はそれだけではありませんが)。そんな子らにとって、一時期でも通ったことによって何かためになることがあったかどうか。僕としては学校に行かなくともそれなりの人生があると信じたい気持ちですが、最初から学校に行かずに、潔くその地域社会で育ってきた同年代の子どもに対しても、彼らはある意味遅れをとることになってしまいます。卒業証も得られない上に、思いのほか大きなロスを被っているのではないかと想像します。 さらに環境問題や調査演習など、日本で言うところの『社会』であったり、音楽やダンスといった表現教育は軽視(無視)されているので、コミュニケーション能力の低さや創造性の乏しさなども指摘されています。こういった現状に警鐘を鳴らす市民団体による、例えばシュタイナー教育(注1)を基礎にした教育を提供する学校に通うスラム(都市貧民居住地区)の子どもたちが、合同コンテストのプレゼンテーションで、1位を総ナメしてしまうということも起こるわけです。そんな市民団体のメンバーは「そのうち3〜5年もすれば、学校教育はみんなウチを見習い出すわよ」と高を括っていて印象的でした。 |
スラムの子を対象にした ノンフォーマル教育の授業風景 |
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本当にインドは、国民みんなが高等教育を修了すべく若い時期を過ごすべきなのでしょうか。一歩立ち止まって、いろんな選択肢を探ってみることが大切なのは明らかですが、しかしこんな世間状況ですから、先ほどの主婦の彼女が僕にtutorを依頼してきたことも、ごく自然な発想だったのでしょう。実際にお会いしてみると落ち着きがあって、付き合いやすそうな方でした。 |
大雨の洪水の中を学校に通う子ら |
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