コルカタ満月記 第13話
 〜 生活者としての外国 〜
○「草のみどり」(2008年10月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

●波に乗れた今年度「草の根」

 二〇〇七年四月から始まった、在コルカタ日本国総領事館での「草の根」委嘱員としての仕事。二期目も中盤にさしかかり、今年度の支援候補案件の手続きも着々と進んでいます。まだまだ気は抜けませんが、一年の大きな流れとしては、まずまず順調。そこで、今回はちょっと仕事のことから視点を変えて、生活の中で考えたことについて書きたいと思います。



8月15日はインドの独立記念日。
街中でマーチが行われています。

いたる所に神様がいる国。

一時帰国中、妹がお腹に念力を。

ここが分娩予定の病院。
家から非常に近くて便利。

友人宅で大昼食パーティー。
魚をバナナの葉に
包んで蒸し焼きに。

準備完了。
さぁ、皆で食べよう!

 

●思いもよらぬこと

 「草の根」の仕事をすることを第一義に私はコルカタへやって来ているので、毎日の中で仕事のことを考えている割合は大きいのは確かです。けれど、連れ合いと共にここで生活をしていることも大切な事実です。私たちは共に好奇心もあり人付き合いも好きなので、人懐っこいコルカタの友人たちとも楽しく付き合いながら過ごしています。
 ところが先日、思いもよらぬきっかけで私たちの「査証(ビザ)」に問題が発生。細かい経緯は省きますが、しばらく翻弄され、それによるストレスで非常に悩まされて辛い日々を送りました。
 この問題は、そもそも私たち個人が解決できるものでも、またすべきものでもありませんでした。結局、在インド日本国大使館、在コルカタ日本国総領事館とインド中央政府との問での調整の対象となったのですが、それも遅々として進まず、次なる行動のための決め手を得られないまま時間ばかりが過ぎていきました。
 概して楽天的な私たちがこの時ばかりはストレスを感じていたのには特別な理由がありました。実は、私はその時既に妊娠中期。ビザの有効期限が切れて急遽日本への一時帰国が必要になっても、時期によっては母子の安全という観点から、飛行機に乗れない期間に突入してしまう可能性も高かったのです。
 私たちのビザ問題を調整している国の機関は、そんな個人の事情を考慮してくれるのか。そもそも自分たちに非がない状況で、何故こんなにも翻弄されなければならないのか。問題が発生してから取り敢えずの解決を見るまでの約二ヶ月間、ビザの有効期限が迫りつつある中で、何を信用していいかも見えないまま待ち続ける、非常にストレスの多い日々を過ごしていました。生活をする上で、こんな種類の不安と怒りを覚えたのは初めてでした。
でもこの件については既に解決しましたのでご安心下さい。この一連の経験から痛切に感じたこと、それは外国で生活をするにあたって、精神的安定がいかに重要な条件であるかということなのですが、このことを考えてみたいという趣旨からこのエピソードを引っ張り出したのです。


●精神的安定とは

 では外国生活における精神的安定はどこからやってくるのでしょう。私は大きく分けて、「立場の法的根拠」「物理的環境」「生活情報」の三つを整えることが大きな役割を果たすように思います。
 「立場の法的根拠」の大前提は、適切なビザやパスポートを持っていること。一見あたり前過ぎるようではありますが、今回私たちが思いもよらないビザ問題に巻き込まれたことで改めて実感するに至っています。その国でいかにいい仕事をしているという実感があっても、強制退去を言い渡されたり、逮捕されてしまったりする可能性を否めないこともあるのです。
 「物理的環境」とは住居や食事、身の回りのものなどが自分の心地良いものであるかということ。例えば外交官や日系企業の駐在員などにはこれらを極力日本での生活に近い形で揃えている人が多く見られます。コルカタへ来た当初はとても不思議に思っていましたが、無理のこない環境を整えるのはとても大事なことだと、今は考えられるようになりました。必ずしも現地に溶け込んでいく必要はないのです。これは嗜好性の問題だけでなく、財力とも相談しなければなりませんが。
 最後の「生活情報」は、現地での生活をより円滑に、また無理なく過ごすための情報です。ちょっと困った時に誰に相談したらよいのか。現地の人しか知り得ない情報もあると思いますので、突き詰めると現地の人との信頼関係をいかに築けるかということになりそうです。あるいは、なるべく困らないように、他の環境条件をがっちり整えておくという方策もあるかも知れません。
 こんなことを考えていると、私が東京にいた時のインド人の友人たちの要望や相談事にどんな背景や不安があったのか、今になってようやく現実味を帯びてきます。あるいは、日本でも不法滞在者とされてしまう人々、世界の難民問題など、彼らの不安は一体どのようなものでしょうか。


●私たちの生活の場、コルカタ

 さて、私たちが暮らすここコルカタが、私たちの外国生活の舞台です。先日短い期間ですが日本への一時帰国をしており、改めてコルカタのアパートに戻ってきてみると、身体は疲れているものの何故だかほっと落ち着いた感じがしたのは意外な感覚でした。約一年半のここでの生活で、すっかり生活のリズムと基盤をここに作り上げてきていたのですね。結局この街とこの街の人々が好きなのでしょう。だからこそ、ここでの出産に躊躇いもありません。
 といっても、妊婦として過ごすコルカタでは、新しい発見や戸惑いがあるのも事実です。例えば、老若男女問わず見事に「お腹がボッコリ」体系の人が多いこの街では、妊婦の私は全くもって目立ちません。女性が身につけるインドでは御馴染みの服装も、日本でいうマタニティー服に通じるものが多いことも影響しているかもしれません。だからかどうか、妊婦だからといって優遇を受けたこともなく、地下鉄車内やバスにも優先席なるものがあるわけではありません。更に、インドでは医師も妊婦も帝王切開を好む傾向にあることや、母子手帳なるものがないこと、毎日1リットルの牛乳・乳製品の摂取を指導されることなど、妊娠期の過ごし方は日本での常識と大分異なるようで、大小の驚きは日常茶飯事です。


●今後の姿勢

 現在、妊娠後期に突入しようとしています。私の深呼吸に合わせてお腹の中で小さな住人がコロコロゴロリと動いて、その存在を感じる度に、これまでの私たちの生活の前提条件が変わったのだと実感しています。この前提条件の変化をきっかけに、予想外にもビザ問題での大きな緊張を味わい、また自分たちの生活スタイルにおいて大切にしたいもの―ここに溶け込んでいくこと。つまり現地の友人、そこから得られる生活情報、ひいては現地文化―を強く認識する形になりました。
 妊娠自体が初めての経験なのですから、コルカタでの戸惑いもその一部として前向きに受け入れていく覚悟です。おせっかいにも戸惑いますが、人懐っこいとも受け取れる「コルカタ人」。もう残り一年を切ったコルカタ生活ですが、この愛らしい人たちの協力を大いに得ながらの生活になりそうです。
 仕事に関しても、同僚の多大な協力は得ることになりそうだけれど、迷惑はかけないよう努力していくつもりです。今年度の仕事の進み具合が順調に進んでいるのも、昨年一年間の経験がきちんと活かされていると実感があるからこそ。今から出来る下準備に密かに自信も持っています。
 流れも掴んだ「草の根」の仕事です。もちろん疎かにはしていませんし、するつもりはありません。生活にも仕事にも真摯に向き合うこと、それが、コルカタでの任期を終えて今後の生活へ移って行くに当たっての一番の準備にもなるのだと思っています。


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