百ある「インド」
○「DEEP INSIDE」(2008年1月)掲載
ワイルドインベスターズ 発行
うえはらゆうき


 インド共和国(インド)には、表(1)(右表)のような行政機関、いわゆる中央省庁があるのだそうです。まずその数の多さに驚きますが、中には名前からは何のための省庁なのか想像しにくいものや、同じ省庁としてひとつにまとまっていても良いような気がしてしまうものも目に付いて、面白いなと思います。
 インドと同じく連邦共和制をとっている国の中から、BRICsの一角でもあるブラジル共和国(ブラジル)とアメリカ合衆国(アメリカ)、そして政体は異なりますが、比較する上で分かりやすいと思ったので、日本の中央省庁を並列してみました。対応するものはどれなのか、組み合わせを考えるのもやはり大変です。


 現在インドには、28の州と7つの連邦直轄領があります。
州にはそれぞれ州知事がおり、州首相と州大臣による閣僚会議を形成しています。中央から州への大規模な財源委譲が進められている上に、特に農業基盤とインフラ開発には、もともと強い権限と財源を州は持っています。友人やNGO関係者などと話していても、州政府の話はあがっても中央政府の話題はほとんどありません。経済や社会開発など、生活レベルで肌に感じる分野においては、良くも悪くも、むしろ州政府の方が果たす役割が大きいのです。
 ちなみに州以下の地方自治体は、都市部では別の機構をとっていますが、インドの大部分を占める農村部には、県、郡、村の3つのレベルが定められています。それぞれの権限や機能は各州の法律などによって異なりますが、末端組織は村パンチャーヤトという議会です。しかしほとんどの場合、直接選挙で選ばれる議員以外には職員はないのだそうで、日本国内の農山村の地域づくりに関わってきた僕としては、「大丈夫かなぁ?」と心配になってしまいます。村あたりのインド全国平均人口は4,800人だそうですが、しかし日本のように、国土の隅々にまで、人口が1,000人にも満たない地方自治体にもきちんと役場があり、事務局体制が整っていた国というのは、かなり珍しいことなのかもしれません。

 少し話がそれてしまいましたが、先の表は、「インド」とはどんな国なのか、僕なりに考えてみようと思って作ってみたものです。というのは、暮らしてみて感じるインドは、それまでにイメージしたり、噂に聞いていたものとは大分違うのです。
 例えば、インド人はよく嘘をつく、道を聞いてもデタラメを教える、ということをよく聞きました。インターネットの情報や旅行記などでも目にしましたし、現在移り住んでくる以前にも数ヶ月インドに暮らした経験のある連れ合いからも聞いたことがあります。でもそれは、聞かれたときに「No(ノー)」と答えることで相手をガッカリさせないためなんだよ、と訳の分からない補足情報もありました。「だから、何だ?」と言いたくもなりますが、つまりインドで暮らすのに、そうカリカリしなさんな、ということだと思います。
 しかしカリカリするような場面にも、そんなに遭遇しないのです。僕は現在、西ベンガル州のコルカタ市街地で暮らしていますが、人口の多くを占めるベンガル人は、みんなやさしい。道を聞いても、目的地近くの住人や商店員ならば、場所と番地までほとんど把握していて驚かされるし、知らない場合には「知らないよ、ごめん」と正直です。ベンガル人以外にもよく出会いますが、同じような雰囲気です。その一方で、「あっち方面の料理は油っこくて・・・」「あの民族の性格は・・・」と自分の民族への誇り、愛着の裏返しとも、悪口とも取れる言葉もよく聞きます。
 また、コルカタの市街地は、築100年以上にもなるような古い建物が多く残っています。毎年のように洪水が起こるためか、古い建物でなくても道路地面より一段高くなっている場合が多く、3階建て以上、広告看板も派手な印象があります。日本人もよく訪れるバラーナシーではそんな印象は全くありませんでした。もっと質素で、街中でも低い建物が多く、地面からの段差もあまりない。デリーの道はだだっ広く、放射型の都市計画を印象づけ、品が感じられます。タクシーやオート三輪車への乗り方や支払いの仕組みも、コルカタとは異なります。
 台頭目覚しいIT産業、ソフトウェア開発で有名なのは、南インドのバンガロール市。ソフト企業が集中している都市もデリーやムンバイで、コルカタでは北東部の郊外で土地開発が進められていますが、まだ目立ちません。その代わり、バザール(市場)に足を運べば、色とりどりの野菜が並び、心躍ります。こういったバザールは街の到るところにあり、GDPに占める割合は2割程度だとしても、農村人口は7割を超える農業国であることも身近に感じることが出来ます。











 例にあげられるのはほんのわずかですが、どうやら、それぞれの特徴を一括りに出来る「インド」という国は、ないようです。上の表は、そのようなインドの状況を、端的に表しているようで、調べたときに面白いと思いました。逆に一括りで捉えようとすると、「あれもインド、これもインド」ということでわけがなくなってしまい、哲学、宗教、美術、映画といった目立つ要素から安易な「インド」像が浮かび上がり、妙に現実離れしてしまいます。
 特定の州や地域を支持基盤とする政党も多く、上記のように中央集権的な統治から地方分権に移りつつある状況からも、少なくとも州ごとに状況をおさえる必要があるでしょう。所得格差や移民、数多く存在する民族など、横割りのトピックも考慮するとモザイク模様となってしまいますが、州ごとで状況や傾向はある程度絞られるようです。「あれもインド、これもインド」ではなくて、「インドのこれ、インドのあれ」というように別々に分けて考え、その中でぼんやりと浮かび上がる「インド」を捉える、という方が僕の性には合っています。


 さてそれでは、コルカタの生活から見えてくるインドはどんな国でしょう。
 ぶらりと歩いてみたり、インド国籍の友人、知人と話してみて思うのは、どうしようもなく普通の国だということ。慣習が根強く残り、哲学的、宗教的な人間ばかりかと思えばそんなことはなく、気さくに無宗教を表明したり、高学歴を応援しつつも「海外留学したわが子は向こうで就職してしまった」と老後の面倒の心配をしたり、もちろん意地悪な人もいれば、気の弱い人、おしゃべりの人、恥ずかしがり屋、笑いの止まらない子どもなどなど、どこにでもある愛らしい様子です。
 コルカタは交通量が多くてクラクションもやかましく、空気も汚くてガヤガヤしています。「コルカタで運転できれば、世界中どこでも大丈夫」といったことも、来た当初はよく聞きました。
 一方で、既述の通り古い町並みが残る場所も多く、隣り合わせでほっと一息つける路地もあります。そこではかなり大きな青年や大人の風をした人も入り混じり、サッカーやクリケットに興じる場面によく出くわします。「楽しそうだな」と眺めていると、一緒にいた友人が、路地の思い出話をポロリと話し始めました。
 こういった時空間への共感が、信頼関係を築く上でどんな特徴的なトピックよりも有用であるということは、世界共通のことなのでしょうね。






◎参考
・『インドの地方自治 〜日印自治体間交流のための基礎知識〜』、(財)自治体国際化協会、2007年10月
・『インドを知るための50章』、明石書店、2003年4月
・内閣官房ウェブサイト、
http://www.cas.go.jp/
・農林水産省ウェブサイト、http://www.maff.go.jp/
・駐日ブラジル連邦共和国大使館ウェブサイト、http://www.brasemb.or.jp/
・在日米国大使館ウェブサイト、http://tokyo.usembassy.gov/tj-main.html
ほか


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