コルカタ満月記 第11話
 〜 こちら側の向こう際(続) 〜
○「草のみどり」(2008年6月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

●新年度を迎えて

 4月も中旬に入り、ここ一週間でコルカタの気温もぐっと上がりました。これまで涼しかった朝晩も、もう扇風機無しでは寝苦しい程。コルカタの夏は暑いだけでなく湿度が異常に高いことでも有名で、地元の人もぐったりするここの「夏」が、いよいよ到来しようとしています。
 私がここにやってきたのもちょうど暑さが始まる季節でした。コルカタという意味でも、外務省という意味でも新しい環境で学びながら、また日々の業務と取っ組み合いながら、一年のサイクルを終えたところです。と、息つく暇もなく新年度。仕事に切れ目はありませんが、自分の中ではしっかり一年目の区切りを付けたいと思っています。



まだ暑さ本番前
〜ビハール州のあるアシュラムにて。

昼間は水牛もお休み。
背中にはひよこがいます。

3月後半の春のお祭り「ホーリー」。
大人も子どもも色水を掛け合います。

19年度のコルカタ総領事館、
「草の根」ユニット。

大変お世話になった同僚のお別れ会
〜館員の自宅にて。

新たな同僚が着任!















 

●「草の根」への印象の変化

 「草の根」制度を知って、そして実際日々の業務を始めた当初漠然と抱いていた印象も、今では実感がこもってその意味を感じることができるようになりました。それは例えば次の事柄について。(1)「草の根」がハード支援(建物の建設や、機材の整備など目に見えるモノを支援する)であることや、(2)助成対象案件選定には非常に手間隙が掛かるものだということ。それから、実際の仕事に慣れてくると、前話に書いたように(3)言語の多様性、通信の不便さ、組織文化の違いなど具体的な苦戦もありました。これらへの対応と解釈の変化が、そのまま私の一年の学びのように思えます。


●ハード支援ということ

 「草の根」がハード支援であるということは、私が想像した以上に、現地のNGOからは重宝されていることが以前よりもはっきり分かってきました。コルカタ総領事館が管轄としているインド東部の州は、学校校舎、病院、井戸、孤児院、老人ホームなど本来自治体に整備が期待されている基本的なインフラの不足がとりわけ深刻です。しかし一方で、ハード支援を、しかも地元地域で活動するNGO対象に行う助成機関は圧倒的に少ないのも現状です。欧米の助成機関でも実際、ソフト支援(人件費やキャンペーン、啓発活動などへの支援)に力を入れているケースによく出会います。
 「草の根」は、現地のNGOの間では知る人ぞ知る「小規模ハード支援」として根付いているようです。それは、団体の口コミでこの制度がどんどん広がってきていることにも表れているように思います。


●案件形成・選定は大仕事

 第8、9話に書いたように、助成対象の案件形成・選定には膨大な時間と労力が掛かります。度々触れてきましたが、必要な書類や計画日程、一つ一つの支援対象のモノの妥当性・必要性を説明する根拠やデータ、それにそのモノを適切に維持管理できるという団体の経験・実績も知る必要があります。これも「草の根」はハード支援、という前述の特徴とも連動しているのかもしれません。
 何年もずっと「残ってしまうもの」だからこそ突き詰めてその支援の妥当性を注意深く理論武装し、また実際にも見据えておけることが重要です。それを世界中で繰り広げているのが、「草の根」。この制度に計画案が適合しているかどうかをとことん見極めていくわけです。例えば「草の根」が求める情報や根拠などがしっかり裏付け資料と共に、しかも期限内に提出できるかどうか。あるいは団体が購入を求めているモノが「草の根」が認めているモノに当てはまるかどうか、などが分かりやすい例でしょうか。極めて地道な作業ですが、今自分が関わっている案件形成や団体との信頼関係の構築が、被益者のみならずのちの後任者までも強く影響を持つものですから、当然のことですよね。
 実は昨年度、会計検査院の調査がコルカタにも入り、数年前の案件を検査していきました。会計検査院というのは、内閣に対して独立の地位を持つ、日本国の国家機関です。国のお金が適正に使われているかを厳しくチェックし、問題があれば国会で報告します。実務者としては恐い相手です。
 数年前のものですので、策定にはもちろん私は関わっていません。ですが、調査受け入れにあたって書類などを揃え、団体に事前説明などをするのは現在の委嘱員である私たち。とても大変な仕事なのですが、小規模支援といえども一案件最高一千万円が供与される一大事です。汚職や癒着も珍しくないこの国で、この額を供与する契約に関わることに気を抜くわけにはいきません。その空気を現場で感じていると、後々までの様々な影響を見据える上でも、検査が入ることは大変有意義なことだとあらためて思います。

 

●日々の苦戦

 「草の根」と申請団体との間には、ドナー(資金の提供者)とNGO(案件実施主体)という関係が存在し、それぞれの論理があって譲れない立場の違いがあります。このことと上手く付き合っていくには、前向き志向で団体や彼らの案件に臨むことに尽きると思っています。案外単純な様ですが、資料の量、案件の数、近くない距離、各地の状況の複雑さ等々、息切れしそうな要素が絡み合う中では、やはりそういうことなのだと思うのです。
 実は、不採択にする要素は探せばいくらでも見つけることが出来てしまうものなのですが、そんな粗探しを仕事にするつもりはありません。一定の基準を満たしていれば、基本的に「どうしたら実現できるか」という姿勢で臨みます。「これではダメです」と切り捨ててしまったらそれまでですが、「でもこうすれば可能性があるのですが」と提案してみる。この時期の委嘱員としての私たちの仕事は、クリティカルに計画案を読んでいきつつも、そんな姿勢を常に持つことなのだと思うようになりました。前話で書いたように、その姿勢を言語の多様性や音信の不便を乗り越えて伝えていくことが大切だと思っています。
 こうしたやり取りを経て面白いのは、最終的に残っていく団体には少なからずその姿勢に共通点があるということです。それは、自分たちがその地域の事情に精通しているという誇りと提出した計画への自信、そしてそれらに妥協しない範囲で「草の根」制度に適合できるように対応していく柔軟さ。こうした姿勢の団体が、新規案件候補として残っていく傾向にあることが分かってきました。案件実現に向けては、私たちの前向きさだけでなく、相手の素質もやはり欠かせません。

 

●仕込みだということ

 こうして一年通して「草の根」に携わってみて、私の仕事は常に先々への仕込み作業のように思えてきたのでした。数ヶ月、あるいは一年後を見据え、インドと日本の制度と締め切りを逆算して、月々やるべきことの予定を立てる。支援したハードが、長期的に地域の人々に利益をもたらすことが出来るような案件を探し出す。それに必要な書類と論理的説明を地道に集めていく。これら全てが、助成した側もされた側も長く嬉しい案件に向けての「仕込み」なのではないだろうか、と思うのです。長く地道な仕込みの末に、華やかな完成式があり、その後の成果が見込まれる。そう考えると、一つ一つの作業にずっしり重みが出てきます。
 そう、仕込みなのです。それを上記のような困難を乗り越えて、いかに上手くやるかに掛かっています。(そういえば、いつも食事作りを担当している連れ合いも、翌日の献立に考えているものがあるからと、よく仕込みをしているなぁ。)


●さぁ、新年度

 新年度は、昨年度後半からの仕込みの成果をどんどん具体化していくところから始まります。百数十団体から、徐々に十団体以下にまで絞られてきた助成候補たち。この後は、現地視察、詰めのチェックを経て東京へ推薦という工程が待っています。それと同時に、時期が来ればもう来年度のことを念頭に入れ始めての新たな仕込みが始まります。長く胸をはって紹介できる案件実現に向けて、目の前の尽きることない「草の根」の仕事に対して、丁寧かつ効率的な方法を模索していきたい。一年を通してのサイクルが身についた今だからできることがあるに違いありません。コルカタのこの蒸し暑さには辟易してしまいますが、締めるところはきゅっと締めていきたいと思います。


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