「地域づくり」のありか
○「舞たうん vol.96」(2008年4月、インタビュー2 〜インターンシップを経験した学生の地域づくりとの関わり)掲載
○(財)えひめ地域政策研究センター 発行
うえはらゆうき

●実際に「インターンシップ」を経験した学生が、その後どのように「地域づくり」とかかわっているのだろうか。「地域づくりインターン」を経験した、愛媛県とも縁のあるひとりの学生のその後を追ってみた。

●まずは、あなたの「地域づくりインターン」との出会いについて教えてください。

 僕が参加したのは『地域づくりインターンの会(特集Cを参照)』という任意団体が主催するもので、先輩に紹介されました。平成12〜14年の3年間、初年と2年目は北海道ニセコ町に、3年目は愛知県豊根村に入り込みました。2年目と3年目には、学生事務局メンバーとして会の運営にも携わりました。


●なぜ、その派遣先を選んだのですか?

 初年のニセコ町は、なるべく遠くに行ってみたいと思ったからです。往復には青春18きっぷを利用しました。2年目は、継続して入るメリットを考えました。3年目の豊根村は、実を言えば他の学生に人気のなさそうな地域を選んだのですが、実際は濃厚で貴重な経験ばかりでした。



トマト加工の視察
(愛知県旧豊根村)
●派遣された先でどんなことをしましたか?

 いろんなことをしました。農業体験、地場産業施設の業務体験、川遊びや祭りへの参加、当時計画段階にあった公営施設の運営方法の提案、などなど。地域での様々な暮らし方を見るために訪れた、『ニセコ生活の家』というグループホームの場は、今も強く印象に残っています。


●「地域づくりインターン」をしている際に、たとえば地域コミュニティに溶け込むのにやや抵抗があったなど、不安なことや失敗したことはなかったですか?

 それは特にありませんでしたが、嘘はつかず、生返事もしないよう心がけました。「阿呆!」と罵られても、「すみません、分かりません!」と元気よい方がよい。後年に続く学生のことを考えても、まずは疑われないことが大事だと思います。

 

●「地域づくりインターン」へ行って帰ってきて、自分がかわったなと思うことはありますか?

 田舎固有の情報があるということを、おぼろげに感じて帰ってきました。都会のそれと比べても、質は全く異なりますが、量は引けをとりません。こういった地域固有の情報を見直し、育んでいくことで、おのずとその地域らしい地域づくりが実現するのだと思いますが、なかなか難しいことです。

 


ゴミ拾いをする子どもたち
(ネパール・パタン市)

●大学卒業後、何をされたのですか?

 「その地域らしい地域づくり」から発展して貧困問題などにも関心が広がり、『シャプラニール=市民による海外協力の会』という市民団体で1年間インターンをし、少しの期間、ネパールやバングラデシュ現地でプロジェクトにも参画しました。
 『無茶々園』を知ったのは帰国後の就職活動中です。強く惹かれたのですが、実は四国にすら訪れたこともなかったので、どういったところかひとまず見に行くと、笑いが止まらないほど興奮してしまいました。
 その後訪れた飛騨の『ソムニード』という国際協力団体と、庄内の『知憩軒』にも大きな刺激を受けつつ、『無茶々園』で働く思いを強めていきました。


●無茶々園では、どんなことをされたのですか?

 『無茶々園』は生産団体かつ販売組織です。その中でも「販売」の役回りは、僕が所属していた事務局が大きく担っています。なので、仕事の中心は「販売」に関する業務です。事務局員一人ひとり、専門的な業務に特化はせず、皆がいろんなことをしないといけません。これはいかにも田舎らしい姿で、面白いと思います。こうした中心の仕事を基礎に、さらに集落・地区内のいくつかのグループ活動や、『無茶々園』の柑橘生産者の集落活動の立ち上げ、運営にも携わりました。
 どんな仕事や取り組みであれ、なぜすべきなのか、あるいは社会的にどんな意味があるか、という理念的・理論的な整理は意識的におこない、内外に発信するよう努めていました。田舎での営利活動や共同の場面では、ブレる要素がたくさんありますし、それゆえにみんなが納得して進んでいくことが大事だと思うからです。



無茶々園のある旧明浜町の段々畑
(愛媛県西予市)

●現在、上原さんは何をしていますか?

 連れ合いの仕事に伴い、現在はインド・コルカタで暮らしています。基本的には主婦ですが、ここで出来る市民参加の方法も模索しています。



(プロフィール写真より)
スラム(都市貧民居住地区)の子を
対照にしたノンフォーマル学校の
美術授業のアシスタントをした日
学校に通う生徒とともに

●上原さんが思う「都会の若者が地域へいくことの意義」について考えをお聞かせください。

 「教育」だと思います。僕自身もそうでしたが、都会で育った若者には、地域の成り立ちや、それを維持し、育んでいく生々しい姿を目の当たりにしてきた人なんて、ほとんどないでしょう。先にも書いたように、全く質の異なる情報も溢れています。おのずと多くの発見があり、学ぶことがあります。
 地域の側も、何をもって都会の若者を教育するかという観点に立つことが出来れば、地域を見直す必要性に迫られるはずです。そのプロセス自体が地域づくりの種まきのようなものではないでしょうか。
 今、若者の流出に悩む田舎を、世界の到るところで見つけられます。田舎ばかりの途上国でも然りです。世界中の田舎が手を結ぶ方法を模索しつつ、各田舎が「その地域らしい地域づくり」に、やはり真剣になってみるべきなのではないでしょうか。違う社会像が浮かび上がってくると思います。僕は地域づくりには教育力があると信じていますから。


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