南伝干満002
 〜 西ベンガル州・Wetlands訪問
うえはらゆうき

2007年11月24日(土)、SAFE(South Asian Forum of Environment)という団体を通じて、西ベンガル州の巨大な湿地帯とSAFEの活動の一部を見学しました。そのときのレポートです。


 east-metropolitanのチングリガータ地区という、コルカタの主要バイパスが通るところで待ち合わせをした。ここから数分車で移動し、最初に少し奥まった村の様子と、次に比較的バイパスに近く、移住者とも混住するような村との2箇所を見せてもらった。
 移動しはじめると、程なくして目の前に水辺の風景が広がった。巨大な湖のよう。岸辺には洗濯したり体を洗う人もあり、のどかな風景は単純に美しい。しかしここでこの風景を目の当たりに出来るのは、今年はこの時期が最後のようである。
 ベリーと呼ばれる管理水域圏のようなものが存在し、水に暮らす人々はこの期間に大小の漁業をおこなうことで、収入を得ている。12月中にはこの巨大な池の水が抜かれ、この風景は一変する。水を抜いてからは、池に溜まった泥の掻き出しなどを行うらしいが、次に水を溜めるまで暇な時期が長く、主だった生産的活動は行われないそうだ。
今が最も豊かな風景と言えるわけだ。いい機会を得た。しかしその一方で、対岸にIT産業ビル群街が広がり、村のすぐ後ろまでごみの山が高く積み上げられて、迫っている。その様子は、この地区がおかれる状況の一側面を暗示している。

 この土地は専門家がWetlandsと呼び、その範囲は広く、ベンガル湾まで続く。私たちが目の当たりにしているのは、そのほんの一部というわけだ。
 そして巨視的に見れば、下水インフラもその法的裏づけも整備されていないコルカタ市街地の汚水、生活水のほとんどが、このWetlandsに注ぎ込まれ、やがて海へと流れ着く。つまりこの広い大地そのものが、巨大な下水処理施設としても機能している。コルカタ市街地やその周辺、そしてベンガル湾海域の汚染を防ぐためにも、この土地はかけがえのないものである。にもかかわらず、土地開発のために、その面積は大きく狭められつつある。
 SAFE(South Asian Forum of Environment)はその傾向に警鐘を鳴らす。活動は州政府へのアドボカシー、環境教育、水辺に暮らす人々の協働など、Wetlandsの機能保全にまつわるあらゆるもので、実に多岐に渡る。

 しかし驚いたものである。Wetlands周辺で都市開発が進んでも、Wetlandsの現在の圏域が保全されれば、今後100年は問題が起きないだろう、と言う。大地の力は偉大だ。逆に言えば、まず第一に、この面積を維持していくことが大切ということになる。そのためにも、今後10〜15年くらいが勝負どころと、SAFEは言う。

 また西ベンガル州のWetlandsの保全は、別の観点からも重要な意味がある。つまり、重要な文化遺産という見方も出来るのだ。直接、間接に人々との生活と関わりを持ちながら、おそらく長い時間をかけて様々にかたちを変えつつも、これだけ巨大な湿地が、今、目の前にある。その物語を想像しただけでわくわくする。
 しかしこういった位置づけは、現実問題に直面したときに非常にあやふやで、無価値なものになりかねない。もしこのまま土地開発が進み、コルカタ都市環境汚染が表面化すれば、おそらく下水処理施設を建設せざるを得ない。そうすれば逆説的に問題は解決され、この湿地の下水処理機能は必要なくなる。また、Wetlands周辺の都市化が進めば、水辺の暮らしとの格差が、安易な比較によって目に付きやすくなる。ともすれば、現在も貧しい生活を送っている地元の人にとっても"手放したい"土地にもなり得る。
 このように考えると、Wetlandsを保全していくと言う立場に立つとき、今後は次のようなことが重要になってくるのではないだろうか。

○ これまでの価値観にとらわれない、より広い観点で捉えたWetlandsの具体的な都市計画を持つこと
○ それを州政府への提示していくこと
○ 地元の人々とともに、水辺の暮らしの哲学を再発見していくこと
○ 地元の人々自身によってその哲学を育むよう促すこと
○ さらに、Wetlands運営権限を水辺の人々へ委譲していくプロセスデザインを、州政府、地元の人々両者と共有していくこと

 特に州政府に対しては、監視という意味でも、海外を含めた外部の強い視線は、大きな力となるだろう。エコツーリズムなどのプログラム作りと運営が可能であれば、実に有効な手立てだと思う。
 また、訪問中の会話で取り上げられた、「俳句」のような取り組みも面白い。日本では、風景を偲んだり、都市計画に慕情を取り入れる際に、このような文学表現がよく引用される。かつての俳人の足跡(句碑)を巡る旅も、以前人気だ。こういった取り組みは価値の再発見にもつながるし、そうなれば新たな計画にも反映させることも出来る。

 いずれにせよ、様々な分野の大きな関心が集まり、多くの人が参加していくことが重要である。様々な社会問題との関わりをデザインし、国際的な会議の場や、様々なメディアを通して広く発信していくことが、まず第一歩となる。
 しかしそのような対外的な活動を進める際にも、現在のように、徹底的に水辺の人々の視点に立つSAFEの姿を期待している。と言うより、その立場に立たなければ、物事は結局上手くいかないだろうと思うのだ。

地元で大変大切にされている
神様を祀る寺院にて。




水の向こうに立ち並ぶ
IT産業のビル群。




村の家のすぐ後ろにまで迫るごみの山。
この山に集まる人や
ごみを積み上げる重機が見えた。


漁に出るのを待つ男たち。
SAFEと協力関係にある
地元の漁業組合のメンバー。




水辺の人々が利用してる
溜め池のひとつ。
現在は計画的に水を抜いている。



(2007年11月24日)


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訪問日:2007年11月24日、9:00〜12:00
訪問者:上原佑貴、上原若菜


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