コルカタ満月記 第6話
 〜 見えないものを言葉に映す 〜
○「草のみどり」(2007年11月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

前回の内容

 インドの在コルカタ日本国総領事館にて日本のODAをNGOなどに助成する仕事に携わっています。これまでは、私にとっての「インド」や「NGO」について、そして仕事を通じて考えていることなどを書いてきました。今回は「読み手」と「書き手」の関係について、考えてみたいと思います。


●安心が生まれる

 先日、「草の根無償資金協力」(以下、「草の根」)で申請を受けた案件の現地視察に行きました。障害者の職業訓練所建設の案件でしたが、やはり実際に職員に会い、障害者の人々と話してみると紙の上には現れてこなかった安心感が生まれるものです。
 このとき、申請書を巡る「書き手」と「読み手」の立場と意図を理解することの大切さに、あらためて気づいたように思います。



プロジェクト現地視察
●現場からコルカタ総領事館へ

 私が担当している「草の根」では、まず助成を受けたい団体(多くはインドのNGO)が総領事館の窓口に申請します。一年で100通以上受け取る案件から、良く出来ているものを数件選び、それを今度は各総領事館から東京の本省に推薦します。つまり、現場の団体から、コルカタにある私たち総領事館担当部署へ、私たちから東京へ、とプロポーザルは地理、立場、役割がそれぞれ異なるセクションを通過しなければなりません。また、その過程で、「書き手」と「読み手」が変化していきます。
 最初の「書き手」である現場の団体は、援助を必要としている人々の声を代弁して申請をしている、という立場です。それを総領事館にいる担当者である私たちが読み、優先順位をつけて、さらに数件に絞り込みます。「読み手」である私たちが審査時に大切にしている観点の一つに、問題の予備知識や現場経験が無い人が読んでも支援の妥当性が伝わるように、というものがあります。申請内容の取り組みについて、様々な立場の人々と共有して行く必要があるからなのです。そしてそれは突き詰めれば、この資金援助の源である日本の納税者に対しての説明責任にもつながります。この意図を申請団体にどうしたら理解してもらえるのか、まだまだ工夫が必要なようです。
 申請者が一度それを理解すると、記述内容はより具体的に、表現はより簡易になっていきます。例えば「女性の収入向上のために麻織り機がほしい」という内容の申請書だった場合、現状と原因は何なのか、どの女性たちのことなのか、商品の市場は確保されているのか、誰が教えるのか、設置した後の維持管理体制は・・・など詰める箇所は枚挙にいとまがありません。各項目についてこのように詰めていくので最終的な申請書は何十ページもある上に、大量の添付資料が加わります。
 この一つ目の「読み手・書き手」関係において、「読み手」が求めているもの、それは「案件の必要性、妥当性、継続性、透明性、などの根拠と裏づけ情報」なのです。そしてそれは、細かければ細かいほど、良い。


●コルカタから東京へ

 数件に絞り込まれた案件は、次はコルカタから東京へ推薦されます。これが二つ目の「読み手・書き手」関係です。ここでは私たち「草の根」担当者が「書き手」、東京にいる外務省の担当部署が「読み手」になります。
 ここでも「読み手」が見ているのは、案件の妥当性や必要性には間違いないのですが、突き詰めていえば、大枠で矛盾や不備がないか、助成金使途の透明性が確保されるように計画がなされているかどうか、それに尽きるように感じます。そして今回は、簡潔なら簡潔なほど、良い。提出書類は紙一枚と添付資料数枚のみです。
 「書き手」に変わった私たちは、簡潔でエッセンスのつまった推薦書の作成を心がけます。簡潔な表現の裏にはその根拠と裏づけの数字を提出できる状態である必要があります。やりがいがあって面白い仕事ですが、やはり容易ではありません。理路整然と自信を持って推薦するために、自分たちが「読み手」であるうちに、逆計算するような形で申請団体に詳細な記述を求めていく必要があるのです。でもただ短くまとめるだけでは、つまらない! ここに私にできる何かがあるように感じられてなりません。



コルカタの獣医学校
教室にかけられた図版
●安心を書く

 先日、シャワーを浴びていたら停電が起きて真っ暗闇になりました。ですが、さすがは毎日使っている場所。暗闇でもシャンプーなどの角度や高さを覚えていて、問題なくシャワーを終了することができました。日々の生活の中で無意識に身に付いている当たり前の記憶や感覚を、逆に発見したように思った瞬間でした。
 「草の根」の案件にも、申請団体にとっては当たり前すぎて申請書紙面に特別に書かれない、そんな何かがたくさんあるはず。それは冒頭で触れた安心感につながる、価値ある大切な何かなのだと思います。
 私たち現地担当者は視察に行き、取り組みを目の当たりにすることが出来ますが、東京にいる最終決定権を持つ本省の人々は、ここに来ることはできません。私が感じた「安心」を、根拠と共にいかに言葉にできるか。これは申請団体自身ではなく私たち、「読み手」であり「書き手」にもなる担当者だけが加えることができる付加価値だと思っています。やはり随分工夫の余地があるようです。そしてこの付加価値を発見し、表現していくことこそ、私の本当の仕事なのかもしれません。





8月に起きたPark Streetの事故現場
●○● チャイでも飲んでよもやま話 3 ●○●

 先日、1泊2日で西ベンガル州内の遺跡建築をめぐる旅に出かけてきました。テラコッタと呼ばれる、彫刻が施されたレンガがびっしり並ぶ寺院をいくつも巡り、すっかりいい気分になりました。車での移動中、なんとも面白い光景に出会いました。緑の水田の際や道沿いのあちらこちらに白い塊が見えるのです。白い塊は、近づいてみると藁のようなものが束ねられてテントのように立っていることに気づきます。ふと、車の脇を、リアカーに大盛りに詰まれた白いものが横切りました。それはちょっと濡れているようで、つやつやしています。絹のようにも見えました。近くの家の庭先で、それを物干し竿に干している光景もよく現れてきました。一体この白いものは何なのでしょうか?
 これらが実は全て「ジュート(麻)」だと教えられたのは、それからしばらくしてからでした。なんと、車を走らせているうちに、ジュートの産地に入っていたのです。ジュートはインドで広く日常的に使われていて、買い物袋やマットなどとても身近な素材です。最近は、プラスチック袋などの使用も増えて、都市部では以前ほど使われなくなったとも言われています。それでも、私はジュート製品の質感や気軽さが好きで、市場での買い物などには欠かさずもって歩いています。最近は「草の根」でも、ジュートマット生産によって女性の収入向上を支援する案件を支援することが決まったばかりです。そんなジュートの産地にいることが嬉しくて、その光景がなんとも幻想的で素敵な道中を過ごしたのでした。




西ベンガル州
テラコッタ建築のひとつ



お祭りの山車の周りには
立てかけ並べられたジュート茎
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