コルカタ満月記 第5話
 〜 「家族」を考える 〜
○「草のみどり」(2007年10月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

前回の内容

 インドの在コルカタ日本国総領事館にて日本のODAをNGOなどに助成する仕事に携わっています。これまでは、私にとっての「インド」や「NGO」について、そして仕事を通じて考えていることなどを書いてきました。


●家族で移動する

 先日パーティー会場で、新しく着任したイタリアの副総領事の女性と出会いました。そこには彼女の夫もいて、横でにこにこしています。公務員であった彼は、なんと彼女の着任に伴い仕事を辞め、一緒にコルカタにやってきたそうです。
 彼の意見は「家族はできるだけ一緒にいるべきものだと思うんだ。離れ離れに暮らしたら、お互いそれぞれの場所でまた別の家族を作り始めてしまうだろ? それは、まずいじゃない。」というもの。話す様子が余りにも嬉しそうで、この2人はきっと良い選択をしたのだろうと思わずにはいられませんでした。彼は毎日、家で手打ちのパスタをこしらえているそうです。この日は「今度パスタを食べに行かせてくださいね」と約束を交わして別れました。



占い中
●家族を見つける

 でも、離れ離れの暮らしは寂しくても、「まずい」こともないのかもしれません。
 例えば昨年、私の両親が、数年間別居生活を育んだ末に、順調に離婚しました。お互いに二度と関与しないという彼らの決断は、その場に立ち会った私たちにとっても気持ちがよく、姉妹ともども応援しています。今では、彼らはそれぞれ素敵なパートナーがいて、新しい生活を始めています。私はインド、妹も一人暮らしをはじめ、日々楽しく元気に生活しています。一見「崩壊?」と後ろ指さされるかもしれませんが、でも私にとって彼らは全く以って今でも私の「家族」であるし、4人で暮らしていたあの空間と時間も、私が始めて体験したある一つの「家族」の形には間違いないのです。
 そんな実感もあって、何を以ってよい「家族」と言えるのか、離れて暮らしているか、一緒に暮らしているか、ということでは決まらないと思うのです。



何を描く?
●マサヤンハウスという形

 またもう一つ、幸せな家族の形を教えてくれた人たちがいます。2年前から縁あって度々訪れている、愛媛県のある村にそんな人たちが作った場所があります。リアス式海岸の漁村のすぐ横から、石垣の段々畑が空に向かって伸び上がり、様々な柑橘がごろごろなっている、そんな場所に彼らは「家族」を築いています。
 彼らはフィリピン人で、この地では「農業研修生」と呼ばれています。有機農業を実践する農家で研修生として期間を定めて働きに来ています。彼らは男ばかり3人で空き家を借り、共同生活をしており、玄関の上には、陽気な色合いで「マサヤンハウス」と表札がかかっているのですが、「マサヤン」とは、彼らの言葉で「ハッピー」の意味とのこと。たまたまこの空き家の持ち主が地元で「まさやん」と呼ばれていたという話を聞きつけて、喜んでこの名前を受け入れたそうです。今では電話にも「はい、マサヤンハウスです」と出るほどです。
 人付き合いが器用なわけでもない、日本語が堪能なわけでもない。でも真面目に働き、農家からイノシシをもらっては庭先で捌いて猪鍋をこしらえてしまうような彼ら。歌とお酒を好み、恥ずかしそうにしながらも、誰でも迎え入れる「マサヤンハウス」の住人たち。そこに行けばいつでもなんだか嬉しくなる、そんな家族の形に出会って、私の中の「家族」像は大きな揺さぶりを受けました。
 「マサヤンハウス」の住人は、いつかは別れていくことが分かっている間柄。それでも、置かれている環境の中で気持ちのいい空間を作り出し、それを生活の基盤として作り上げている彼らの存在は、例え東京にいてもインドにいても、そう簡単に忘れられるものではないのです。
 先に紹介した「家族」とは全く異なりますね。血縁でもなく、運命共同体というでもない「家族」です。でも不思議に居心地の良い幸せな空間のイメージが、マサヤンハウスにはあるのです。



マサヤンハウス原型

現マサヤンハウス(本家)
●マサヤンハウス3

 このマサヤンハウスに直接、間接に影響を受けた人々が、自分のところで「マサヤンハウス」をはじめているようです。東京の品川区にはマサヤンハウス2が、横浜にはマサヤンハウス4があるのだとか。私たちもその一組、ここコルカタの地で「マサヤンハウス3」を始めました。
 実は7月中旬に、私の夫がここコルカタにやって来て、インドでの二人暮らしが始まっています。なんと彼自身が本家「マサヤンハウス」住民の大親友で、自身も同じ村で働き、生活をしてきた、そんな人です。
 先日、「期待以上に主婦業が楽しい」と彼がポロリ。自宅でもできる仕事があり、集中するときはすさまじい集中力で仕事に励みつつ、日本から担いできたウクレレを弾いて、歌って、料理して、掃除して、お買い物をし、街を歩き回ってスケッチとって。そんな風な彼のコルカタの日々が始まったわけです。前述のイタリアの夫妻と少し違うと思うのは、彼自身が「家族」の形にこだわりがないこと。ただ、今は一緒に過ごすべきだと考えているようです。そして彼が加わったおかげで、私もあこがれていた「マサヤンハウス」をはじめる体制が整いました。たまたま、舞台はコルカタです。
 「マサヤンハウス」であるために、特別なことは特にありません。私たち住人がわくわくした気持ちでいて、おいしい料理があり、歌があり、人に耳を傾けることが楽しめたなら、何よりです。訪れてくれた人が、「何ここ!」と思わず笑い出してくれるような、そんなプラットフォームになりたいと思っています。
 現在は、小規模にお客さんを迎えている程度ですが、そのうちインド人も日本人も交えたマサヤンな時間を作りたい。年齢、言葉、経歴の違い、全ての違いを楽しめるような、そんな会が開けたら、どんなに楽しいことでしょう。意外な出会いが、それぞれの仕事や関心事に反映して、意外な展開に好転していくかもしれない。そんな夢を描きつつ、コルカタに来てくれた私の「家族」に感謝しつつ、私は明日も元気に出勤するのです。





12時をまわると『真実の時間』
ろうそくの淡い明かりの中で


みんなで作った料理を食べよう
●○● チャイでも飲んでよもやま話 2 ●○●

ちょっと退屈な日々とグムナスケッチ

 最近、主婦っぽく振舞うのを楽しんでいます。食事を作ったり洗濯をしたりするのはもちろんですが、「妻の気持ちを全然分かってくれないんだから」と小言するのも楽しい。そうやって自分自身を茶化してみること自体を楽しんでいるのかな。ですが、季節に合わせて模様替えをしたり、冷える日に暖かい料理が用意されていたり、「お帰り」と言ってもらったり、そういうことがとても大切で、もしそんな家族があればいいのにな、と思う気持ちは、男性も女性も、みんな共感するところではないでしょうか。
 僕は車を運転するのが好きではありません。もちろん、だからと言ってしないわけではありませんし、心地よい運転が出来る技術を身につける喜びはあります。ですが道すがら、どうも運転することに気を使いすぎるので、面白みがないのです。
 わざわざ高いお金を払って特急に乗るよりも、少し早起きしてでも鈍行に乗ります。大きな揺れも予想を大きく越えることはないし、本を読んだり、たまに顔を上げて風景を見るのも好い。同じ線路でも、手に取った小説によって景色の見え方も違ってくるというものです。眠りこけるのも上々。目的地は変わらないのですから、許される範囲でなるべく長く、どうせなら辿り着くまでの時間や環境も大事にしたいと思っています。インド・コルカタに来てからも、用事があればなるべく徒歩で、たまに立ち止まってはスケッチブックを取り出すのも、そういうわけです。
 のんびりしているようですが、これまで僕も僕なりにいろいろ考え、やってきました。野心もありますが、例えば僕自身が理想の何者かになるより、夫婦として、あるいは家族として、より素敵な未来像があり、豊かな社会に向けて貢献できるのであれば、そちらを選択する方がよりよいのではないでしょうか。そのとき僕の役割が《妻》か《夫》かということに、執着はありません。無茶々園(むちゃちゃえん)でも僕たちの縁を祝っていただき、『寿退社』ということで、みんなに気持ちよく送り出してもらいました。
 主婦として家内にいる時間が長くなりました。と言っても家にばかりいるのではなく、買い物なり、お遣いなり、一度外に出れば、夕食の準備に間に合う時間ぎりぎりまで、なかなか帰るつもりはありません。ぶらりぶらりと遠回りをします。そんな視点で見るインドは、どうしようもなく普通の国です。意地悪な人もいれば、気の弱い人、おしゃべりの人、恥ずかしがり屋、笑いの止まらない子どもなどなど、どこにでもある愛らしい様子です。
 料理の上達や文筆への親しみ、丁寧な生き方を心がけるなど、むしろ主婦だからこそ向きあいやすい人生の課題はいくらでも見つかります。少なくともこれからしばらくは、主婦の視点を大切に、このスケッチブックにたくさん描きためていきたいと思っています。

朝の時間
(2007年8月 主婦・妻 うえはらゆうき)


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