コルカタ満月記 第3話
 〜 健康なNGOって何だろう 〜
○「草のみどり」(2007年7月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

前回の内容

 この4月から、インドのコルカタという街で働き始めました。日本のODAをインドで活動するNGOなどに助成する仕事です。これまでは、私にとっての「インド」や「NGO」について、そして仕事の具体的な内容について書いてきました。


●ベルが鳴って、コルカタ

 今月はもう少し、ここに至るまでの背景について触れたいと思います。自分の関心と人の縁を辿って過ごしてきた延長に今の生活があるのだと思っています。夢中で走り続けていたのは、雲の中だったのかもしれません。今やっと雲の切れ間に辿り着いた、というイメージです。そしてここでの契約が終わる2年後には何を見出しているのか、また別の雲の中でしょうか。こればかりは未知数です。
 今の仕事のきっかけは、ある日突然やってきました。思いがけず自分の関心のど真ん中を射抜かれ、偶然のような、そうでないような不思議な感じでした。コルカタに来る直前までの私は、東京の会社員。残業帰りの地下鉄で携帯電話が鳴って、「コルカタで2年間働く?」と国際協力に携わる恩人の声。次の日には仕事の概要がメールで送られてきました。最終的に会社を辞めてコルカタに行くのだ、と決めるまでは数日かかりましたが、ああ、私はまたインドに行くのだな、とそのメールを見たときから本当は知っていた気がしています。


●これが始まり

 大学1年が終わるのと同時に休学をし、北欧系のNGOと共にインドの北西部にある村で活動する機会を得ました。そこで念願の「インド村暮らし」をするのですが、この1年間のNGOとの付き合いが、今に至る関心ごとの原点を生みました。それは「良いNGOってどんなだろう?」ということ。私が参加したNGOは、世界中で農村開発やエイズ対策のプロジェクトを実施しており、スタッフも多人種・多国籍。活動に必要な資金調達も寄付、事業収入など多岐に渡っていました。
 ですが、実際に私が関わっているとき、この団体の国際本部の都合で、プロジェクト半ばで活動が中止になってしまったことがあったのです。これは、現場で業務に携わっている者には大変ショックなことです。これがきっかけでもあるわけですが、「私たちが集めたこの寄付金、どのように使われているの?」「もっとお金を効率的に使って、長続きさせる方法ってないの?」「現地スタッフの給料はなんでこんなに少ないの?」「国際本部の決める方針、私たち現地オフィスの声を反映している?」などの『問題点』が実際の業務を通して見えてくるようになりました。そしてこれら真剣に悩み、議論を生んだこれらのテーマが、実は多くのNGOに共通している重要なテーマの一部だということをのちのち知るのです。私は、NGOを巡るこれらのテーマの存在も知らぬままにNGOに飛び込み、まずは身をもってNGOの大きなチャレンジに直面する1年を過ごしたのでした。当時は現地のスタッフや仲間と議論しながら、悩みながら、苦しみながら解決策を探しては行き詰っていました。特にお金のことには、やりきれない思いばかりでした。たくさんの「はてな」を抱えて休学期間を終え、大学に戻りました。悩めるままに調べていたら、NGOの「説明責任」や「透明性」、「プロジェクト評価」そして企業や政府との「協働」など、私の『はてな』たちには名前があること、すでに多くの議論が展開されていること、また専門に研究している人たちが世界中にいることを知ったのです。その時、安心すると同時に、課題の奥の深さに触れて、呆然としたのを覚えています。
 私が経験したその団体は、NGOの存在の可能性を信じさせてくれたと同時に、多くの反面教師となる側面を見せてくれました。さぁ、「健康なNGO」ってどんなだろう? 私には何ができる? これが、始まりでした。





●「はてな」を辿る

 それから今に至るまで、試せるだけの機会を見つけては「NGO」の世界を覗きたいと願い、活動してきました。インターン、ボランティア、アルバイト、奨学生など、大学生の立場で可能な限りの立場を使っては、考えるヒントを集めてきました。活動範囲、組織規模、担う役割など、切り口はいくらでもあります。卒業後にまず企業への就職を選んだのも、NGOの存在意義を信じるがゆえに、それの重要なパートナーとなり得る「営利団体」の文化を身につけたかったというのが根っこにはあったからです。
 そして現在、数ヶ月間のコルカタでの仕事と生活を経て、「健康なNGOって何だろう?」の答えは一つではなさそうだと思うようになってきました。なぜなら、この問いには常に「誰にとって?」ということも整理する必要が出てくるからなのです。


●イメージできるかどうか

 今、コルカタの日本総領事館で私は「NGOの活動に資金援助をする」立場にいます。仕事は、「よい助成先を探し、育てる」ことから始まりますが、ここでは常に「助成金を出す私たちが納得できる助成先(NGO)」という視点を持って、申請してきた団体とその案件内容を色々な側面から見ていくのです。「地域の人たちに本当に必要とされているのか」「実現可能な計画が組まれているか」「団体に充分な経験はあるか」「効果を持続させる体制は整っているか」「妥当な価格の業者を選定しているか」など、指標はたくさん用意されています。
 一方、申請するNGOからは、「『草の根』は本当に細かい計画を要求するし、審査も厳しい」といった声や「申請書を作りながら、気付かなかった点も考えるきっかけになってあり難い」など賛否両論聴こえてきます。
 さて、では「良い(健康な)NGO、良い案件」って誰にとってでしょうか。私たち領事館? それとも助成金を受け取るNGO? はたまたNGOの活動の対象となる村の人々? あるいは・・・と、考えていくと、「そもそも誰が候補に上がるの?」ということも整理する必要が出てきます。(次回はその整理に取り組みたいと思います。)
 今の職場では、まずは「助成金を出す側」の論理をしっかり学びたいと思っています。ただ、それが唯一の視点でないということを忘れずにいられるかどうか、別の角度からは違った論理が存在し得るのだということもイメージし続けられるかどうか。雲の切れ間に一休みしている場合ではありませんね。






○●○コラム:チャイでも飲んで、よもやま話○●○

 先日、なんと市内で玉突き事故に合いました。この街の交通社会の混沌さは有名で、コルカタで運転できればどこにいっても通用する、と言う人もいるくらいです。      
 まず、事故は車4台の玉突き事故。私と友人は、まえから2台目の後部座席に座っていました。負傷者も出ず、被害は車の凹みだけで済んだのは不幸中の幸い。でも、事故後の対応はさすがにユニーク(?)です。
 まず、一瞬にして人だかり。わんさか野次馬が集まってきます。彼らが皆、真剣に議論に参加してくるものだからさぁ大変。そうこうしていると先頭の姿はもうありませんでした。私たちの後ろにいたタクシー(実はこのタクシーの急ブレーキが事の発端)も立ち去ろうとしていましたが、こちらが車のナンバーを控えると諦めて大人しくしていました。私が乗っていた車は、同乗の友人(日本人)の車。彼女は、車を保険で直すべく、事故証明書など必要な書類をそろえねばなりません。
 そこへちょうど警察がバイクで通りかかったので一同ほっとしたのもつかの間、その警察は「けが人いないし、これくらいならまぁいいでしょ。はい、解散!」といった調子。私たちは唖然としながらも、なんとかタクシーも連れて最寄りの警察署へ。粘りに粘って友人が手に入れた事故証明は、自分が手書きで書いた文面に警察署のハンコを押したものでした。この間、免許証などの提示などは一切なし。私たちは「え・・・こんなんでいいの・・・?」と再び唖然。
 外傷はなくとも、うち身に合った私たちは、念のため病院へ。さて、どこの病院に行こうか、ということが次の問題です。下手に外来の窓口に行ったら、何時間かかるか分かりません。ここでは、お医者さんに直接連絡をとって予約を入れるのが一番確実。そこで、私は先日予防注射をしてもらったある先生を思い出し、携帯を鳴らしました。直前なのに予約が取れたのは、これまたラッキー。全てが終わった頃にはすでに夜の9時を回っていました。お腹がグルルと鳴って、朝ごはん以来、何も食べずにいた事に気付いたのでした。
 これは、この街のよくある事件の一つに過ぎません。事件がインドの人々のすべてを象徴しているわけではもちろんありませんが、このような側面が多かれ少なかれあることは間違いないようです。調子が狂ってしまうことも多々あります。けれどこの愉快な人々とどう向き合っていくか、私の仕事にとっても、とても重要なヒントがあるように思うのです。





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