コルカタ満月記 第1話
 〜 「インド」×「NGO」=? 〜
○「草のみどり」(2007年5月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行
上原若菜

はじめに

 今夜は満月。職場からの帰り道、地下鉄の駅を出て歩いていたら、ぽっかり満月を見つけました。私が4月から住んでいるのは、インドの東部にあるコルカタ(カルカタ)という街。満月のオレンジ色と街灯の色が同じで、私はこの色をみるといつもちょっと嬉しくなるのです。夜9時も近いのに、露店や市場は人と者でとても賑やか。ぼうっと月を見ながら歩いていたら、道を一本曲がり損ねて、少し迷ってしまいました。
* * *
 私は、この街にある日本総領事館で働いています。中央大学を卒業したのは去年の3月。巡り巡って、ここが3つ目の職場です。こちらでは、日本のODA(政府開発援助)を発展途上国で「草の根」レベルの活動をしている団体(NGOなど)に助成する仕事に携わっています。私にとって、「NGO」と「インド」はなぜかいつも近くにあるキーワード。今回の仕事は、そのどちらにも向き合える大切な機会です。
 今回は、私にとっての「NGO」について、そして「インド」について触れたいと思います。


私にとってのNGO

 最近、「NGO」「NPO」という言葉がよく登場するようになりました。前者は、「非政府組織」、後者は「非営利団体」の頭文字です。どちらも、非政府・非営利の立場に立って、公共あるいは社会的弱者の利益のために活動している団体を指します。また、活動する地域やイシューのプロフェッショナルでもあり、政府や企業がそれぞれの性質や理念を持っているように、NGO/NPOもまた異なる理念のもとに活動します。これらは互いに反するものではなく、互いに補いながら、よりよい社会の実現のために協働する同じ社会のアクターです。
 私がNGOと偶然出会い、そして今でも接点を持ち続けている理由は、おそらくNGOが持つ「人に対する接し方」に、理屈抜きの自然なところで共感しているからだと思います。私にとって「NGO」の世界は、自分が自然体のまま発想や行動のできる環境なのだと思っています。





NGOとの出会い

 大学1年も終わりかけていた頃、私がある「NGO」の活動に参加したのは、本当に偶然でした。当時、「何としてもインドの村で生活して、そこに住む人の目線に近づきたい」とただひたすら考えていました。この理由は後で触れますが、その頃はこのことで頭が一杯だったのです。けれど、その手段が分からない。留学はそもそもの語学力が必要だし、何を勉強しに行くのかも定まらない。お金もかかる。夏休みに旅行、といっても期間が短すぎて、不完全燃焼になりかねない。あれこれ考えていた大晦日のある日、本屋さんで立ち読みをしていたら、偶然見つけたのが、ある国際NGOのスタッフ募集の記事でした。「アメリカ研修6ヶ月。その後インドのプロジェクトで6ヶ月、アフリカで2ヶ月働く、デベロップメントインストラクターを募集中。意欲があれば、経験・語学力等は問いません」と小さく書いてありました。「これだ!」と思い、一目散に家に帰ると、早速ウェブサイトに見入ること数時間。その2ヶ月後には、私は休学手続きを済ませて、飛行機に乗っていたのでした。これが、「NGO」との出会いです。  
 それまで、言葉としてのそれは知っていました。けれど、活動体としてのNGOに入り込んだのは、これが初めて。国際貢献、貧困削減、といった難しいことは頭にありませんでした。ただ、そこに住む人々に近づける場所を探していたら、「NGO」に行き着いた、それだけです。
* * *
 そのNGOでは、アメリカでの研修後、私はインドのラジャスターン州・クティナ村に派遣され、エイズと子ども教育のプロジェクトに就きました。村の生活はというと、水の蛇口はないのでハンドポンプから汲み、電気も一日に3時間ほど、しかも不定期にきます。私は村の家族の一室を借りて、そこからNGOのオフィスに通う生活をしていました。村の人は皆、ヒンディー語。英語は通じません。私は生活をしながら、また仕事をしながら、赤ん坊が言葉を習得していくように、ヒンディー語を覚えていきました。これが、待ちに待ったインドでの生活。また、地域の人々の目線に降りていって声を聴き、一緒に問題解決にあたる、という団体のスタンスも、私にはとてもしっくりきていました。
 そしていつしか、この村に友達が増え、共に電気が来る時間を待ちわびたり、料理をしたり、水汲みをしたり、考えたり学んだりの時間を共有するようになりました。そんな一瞬一瞬でいつも幸せだなぁと感じていたのです。「よそ者」としての自分の存在は根本的には変えることができなくても、同じ問題に向き合いながら、互いに想像したり理解したり協力したりできる。そう信じることができるようになった、原点となる経験です。


インドとの出会い

 私と「インド」の因縁は、これもまた偶然の出会いです。初めて訪れたのは、高校一年生。当時美術大学に行くべく予備校にまで通っていた私は、ある美大が企画した2週間ほどの「インド遺跡巡りツアー」に参加しました。これが、生まれて初めての海外。刺激的な情景、カラフルな生活の匂い。街のそこら中に神様がいて、なんともいえない活気と生活臭に私は胸を躍らせました。けれど同時に、とても悔しい思いが終始こみ上げてきていました。ツアーは、いってみれば豪華で安全で観光名所を巡るもの。私たちは終始バスの中にいて「手厚く」守られていました。市場に入っていくことも危険だからといって許されない。人々の言葉も分からない。話せない。それが本当に悔しかったのをよく、よく覚えています。ある時、バスが渋滞で止まると、私のすぐ横の窓ガラスをおばあさんが外からバンと叩き、食べるものをくれ、とジェスチャーをしてきました。すると添乗員からは「目を合わせては駄目だよ!」と一喝。この窓ガラス越しに、彼女の表情も見ることができないもどかしさ。自分の乗るバス全体の存在が空しくて、そしてインドにいるのにそう胸をはって言えない自分が、本当に悲しかった。そしていつか、今度は自分の力でまたここに来て、ここ住む人の生活の目線に近づいて話をするのだ、と心に誓ったのでした。 
 夏休みが明けて、私は受験のための予備校をすっぱりやめて、美術とは気長にゆっくり付き合っていこうと決めました。インドに行って、「異なる」社会の存在を知り、同時に今まで知らなすぎた自分に気付いて、「これはまずい!」と思ったのです。
 ただ、世界は知れば知るほど広く、一つの出会いの後ろに無数の人や出来事が広がっている。「インド」においても例外ではなく、私は在学中のあれやこれの活動を通して、クティナ村での経験は、広い、広いインドの中のある村の日常を知ったに過ぎないことを思い知らされるのでした。





ただいま、インド

 「なんでそんなにインドに行くの?」今までに幾度となく尋ねられてきました。この度コルカタに来たのは初めてですが、インド自体は5回目だからです。今から思えば、16才の時の体験が運命的だったのかもしれません。またその後に縁が続いているのは、その時に習得した語学や今に至るまでの様々なチャレンジが、魅力的な人々との出会いを生み、それがまたインドやNGOへの新たな扉を開かせてきたからだと思います。出会いが自分を豊かにしてくれているのを感じます。また、その度に新たな疑問と関心が生まれては繋がっていくのが、心地よい。
 今回も、初めての立場で臨むインドでの生活を、私は心待ちにしてきたのでした。


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