帰り記号


福島を切り捨ててはならない!

2012年07月17日 | 日本とわたし
以下の、山田真小児科医による講演は、今年の5月20日に行われたものです。
『福島で深呼吸したい』というブログを書かれている福島在住の方が、
同じく福島在住の友人の方から教えてもらったこの講演の内容をツィートに載せ、それを100人以上もの方々がリツィートしたというのに、
いつの間にかネット上で削除され、見られなくなっていたそうです。

なので、ここにもその講演の一部始終『福島を切り捨ててはならない〜山田真医師の講演会から〜』を書き残しておきます。

わたし達はもっと真剣に、実際的に、福島の人々のことに思いを馳せ、手を差し伸べなくてはならないと思います。
官邸前の抗議集会が、シングルイシュー(原発について)のみに留めることにこだわり続けるのなら、
どこかで、官邸前並みの規模で、
「今度こそ日本は、日本人は、切り捨ててきた歴史を繰り返してはならない」
「もはや電力会社や官僚や政治家などが相手ではなく、アメリカを中心とした世界規模の原発マフィアという存在を敵にしている」
という事実を、声に出し、叫び、ひとりでも多くの人の耳に入れる運動をしなければならない。


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定期総会講演 

「福島を切り捨ててはならない 」  山田 真(小児科医)


2012年5月20日

放射能を感じることが重要

今、この会場の線量は、0.06マイクロシーベルト。
放射能は、その存在を忘れてしまいがちだが、私たちのまわりにはいっぱいある。
忘れてしまうと、国や東電の責任を、免罪してしまう。
私は、線量をいつも、計るようにしている。
私の持っている測定器は、10万円ほどの器械。
高価だから、個人で持つのは大変かもしれないが、グループで持って、測って、放射能を実感したほうがいい。

放射能について、国はいいかげんな計測しかしていない。
東京都は、新宿で測っている値を発表しているが、このところ、0.05マイクロシーベルト(5/20現在)くらいになっている。
しかし、江東区は、0.15〜20マイクロシーベルト(同じく5/20現在)くらいある。
国民は、正確な情報を知らされていないので、嘘になれてしまっている。
福島は、「あきらめた」という状態になっている。
国・県・専門家、誰も信用できないから、要求もしない。
自分たちだけで守っているので、限界があるが、国や県に要求するとろくなものが返ってこない。
このごろ福島に行くと、「それでいいのか」と思い、切ない気持ちになる。


救援連絡センター設立のころ

救援連絡センターができたころは、東大闘争からはじまる全国学園闘争があり、市民や労働者の闘いがあり、日常的に、逮捕者やけが人が出た。
1968年の東大闘争のとき、私は卒業して、医者になっていた。
医療救対ということで、デモ隊について、救急箱を持って一緒に走ったが、とても処置できないので、
慈恵医大を拠点にして、一時的な野戦病院を作り、救援活動をしていた。
なりたての医者を集めたが、人のけがを縫ったこともない医者もいた。
けがをした人のなかには、あそこで縫うよりは捕まったほうがいい、という話もあった。
かなり滅茶苦茶な医療をやっていた、と今思う。

そういうなかで、共産党系の国民救援会はあったが、対抗するものを作ろうと、救援連絡センターを作った。
亡くなられた水戸巌さん、郡山吉江さん、私が医療側ということで、3人くらいで始めた。
今回、水戸さんのことを思い出したが、水戸さんが生きていたら、嘆かれたろう。
水戸さんは、原子力の専門家で、原発に反対し、原発労働者の被曝問題にも関わっていた。
水戸さんが生きていたら、今回の原発事故は起きなかったかもしれない。

獄中医療については、拘置所に毎週通ったこともある。
制限時間なしに接見していたが、実際には、金網越しにしか見ることができなかった。
先進国といわれる国のなかで、日本の獄中医療は劣悪だ。
私が関わっていた30~40年前から、良くなっていない。
獄中にいる、存在することで起きる病気を、「獄原病」という名前をつけた。
「現代用語の基礎知識」の、今年のキーワードというので、載ったこともある。
外の医者が行って治療する、その判断によって、本人が希望する病院で治療するということを、確立しなければいけない。
密室治療は、恐ろしいと思う。
そんな経験をしてきた。


日本が、放射能に無警戒なのは何故か

昨年、3月11日に、福島原発で大事故が起きたが、その半年くらい前に、「母の友」という雑誌の連載で、医療被曝のことについて書いていた。
日本人は、放射能について警戒心がない、という問題提起をしていた。
広島・長崎を経験していながら、どうして医療被曝のことが問題にならないのか、不思議だった。
5、6年前、ヨーロッパの科学者が、世界中の医療で使われる放射線の現状について調べた。
日本は、レントゲンを撮る率がきわめて多い。
学校で、全員が、レントゲン検査をやることは、日本しか行っていない。
欧米では、労働者への検診は、被曝するデメリットと、診察のメリットを考えると意味がない、ということでやられていない。

最新の機械であるCTの時代になって、アメリカなどと比較して、日本が何十倍も被曝している。
CTの3分の1は日本にある、といわれている。

日本人は、欧米に比べて、何十倍か被曝している。
ヨーロッパの専門医達が不思議がるのは、日本は広島、長崎で被曝して、放射能の怖さを知っている国民であるはずなのに、放射能を警戒しないのはどうしてか、ということ。
ヨーロッパの科学者達が計算すると、治療のメリットと被曝のデメリットを比較すると、発ガンのデメリットのほうが大きく、レントゲンということがプラスになっていない。
にもかかわらず、日本では話題にならないのはどうしてか、と言っている。
日本の専門家達は、ヨーロッパから言われるけど、放射能の危険性についてどうやって計算して出すのか、と言う。
広島の被曝者の資料しかなく、広島の被曝の仕方と医療の被曝は、スタイルが違う。
だから、広島を資料にして危険だ、と言われても、耳を傾ける必要がない、と言うのが、日本の科学者の態度。


日本が、放射線に無警戒なのは何故か、これまで解らなかったが、今回、3・11福島原発事故で、はじめて解った。
日本は被曝国だから、放射能に対する発言権を、世界で一番持っている。
核保有国としては、日本人に一番安全だ、と見てもらわなければ困る。
それで、原爆が落とされて以降、周到に、アメリカによって作られたABCCという機関を通じて、被曝の実態を、なるべく小さく見せてきた。
福島で起きたことは、広島、長崎、第五福竜丸、東海村臨界事故という、一連の流れの中にある。
広島、長崎、第五福竜丸、東海村臨界事故の人々が受けてきた、過酷な隠蔽工作が、福島で明らかになった、ということ
である。


福島の子どもたちの現状

福島の現状は、被害を訴えているにもかかわらず、見捨てられようとしていることが、明らかになってきた、ということだ。
私は、昨年6月に、はじめて福島に行き、その後、10回くらい行った。
福島の子どもたちの健康相談会をやっているが、実際には、子どもたちのからだに大きな変化は、今のところは起きていない。
だが、今起きていないというのが、実は怖いことで、10年、20年たって起きても、何の補償も出ない可能性がある。
広島よりも、ひどい状態が起きるのではないか、相談会でも、親御さんはそれを心配している。
多いときは、10人くらいの医者が集まって、相談会を担当するが、1人1時間くらい、ひたすら聞く。
そして、私たち医者ができることは、多くない。
大丈夫だ、と言うわけにもいかないし、こんなふうに危険だ、とも言えない。
一緒に続けて闘おう、子ども達をきちっと見続けよう、としか言えない。

最初のころは、「避難しようかどうか」という相談が主だった。
そして、避難できる人たちは、福島を離れた。
自主避難する人を、非難する人がいるが、それはおかしい。
避難する人たちは、基本的に正しい。


ところで、ぼくの自宅へ昨日まで、モンゴルの人たち五人ほど来客があった。
モンゴルの人達に、日本に観光でやってくるのは危険か?と聞かれて、私は答えることができなかった。
どうしても返事をしろ、東京は安全かと聞かれたら、「小さい子はこないほうがいい」としか言えない。


福島現地で起きている分断

福島では、最初のころも、分断が起きていた。
大きな事故が起きると、さまざまな差別が起きる。
福島は、3つの地域に分かれている。
原発のある浜通り、福島から郡山へ向かう中通り、そして会津という地域。
原発があれば豊かになるよ、と宣伝して、浜通りという貧しい所へ、原発を持って行った。

浜通りは回復できない、と国は思っているだろう。
会津は、福島の中では、東京並に線量が低い地域が多いのに、福島とひとまとめにされて、農産物も売れず困っている。
中通りは、深刻な状態にあって、さまざまなところがある。
福島市は完全に沈黙させられているが、郡山は闘いが組めている、いわきは復興を目ざしている、というふうに、さまざまなのだ。

地域的な分断のほかに、いろいろな対立がある。
避難していった人と残った人、家族の中でも、お母さんは子どものために避難したいと思う、お父さんは仕事があるから避難できない、
おじいちゃん・おばあちゃんは、「たいしたことないと言われているから、ここに残っていても大丈夫だ」と言う。
家の中でも意見が違い、家族のなかでも厳しい状況がある。
私たちは、「小さな子どもたちは避難したほうがいい」と言っている。

6月のころは、相談会もなごやかな雰囲気だった。
7月になって、戒厳令になったという気がした。
福島では、放射能が不安だと言うと、バッシングを受ける状態になっていた。
とりわけ福島市が強く、いろいろな規制をしている。
外に出ている子どもに対して、「早く教室へ入ったほうがいい」「長袖のシャツを着ていたほうがいい」くらいの注意をした教師に、育委員会から指導が入る。
それで、何人かの学校の先生が辞めている。



医師会は放射能を無視

福島市の医師会は全員、「放射能は心配ない」と口裏を合わせることになっている
最近は、子どもを連れたお母さんが受診して、放射能と一言いうと、横を向き診てくれない、という状態になっている。
山下俊一教授という、悪名高いピエロがいるが、実は、悪の中枢ではない。
前面に出てきて非難されても、英雄気取りになっている、山下みたいのはどこにでもいる。
亡くなった重松逸浩とか、長崎大の長滝重信とか、もっと悪い人がいる。
昨年9月に、福島で国際会議が開かれ、「もう福島は収束した。将来も健康被害はない」と宣言されてしまったが、主催したのは、日本財団だった。
福島では、健康被害なしとするため、山下などが動いている。

福島の個人病院で、健康診断をしようとしたら、福島市からストップがかかり、「山下さんと相談してからやれ」と言われた。
山下としては、自分たち以外の健康診断はやらせない。
勝手にやった健康診断で、被害はなし、将来も大丈夫、と言ってしまう。
他のところでやると、そういう結果は出ないわけだから、自分たちの健康診断のおかしさが暴露されてしまうから止めている。
それで、福島の医者は動きがとれない。



食物による内部被曝を減らしたい 

外部被曝を避けようとして、ずっと家にこもっているわけにもいかないので、まず、食べ物・飲み物による、内部被曝を減らしたい、と思っている。
福島の小中学生が、日本で一番、福島産の食材を食べている。
総理大臣が、カイワレを食べたという下らないパフォーマンスはあるが、そのパフォーマンスを、福島の子どもたちが、集団でやらされている。
ただちに被害は出ていないから、「大丈夫だろう」と、微かな期待をかけさせられ、福島の子どもたちが、福島産の食材を食べさせられ、牛乳を飲まされている。
福島産以外の食材を使ってほしいと要求する親は、まわりの保護者から非難される、という、とてもつらい状況になっている。


何とか避難できる人たちは避難した。
福島で運動してきた人も、かなり福島から引っ越した。
これまで、福島が危険だと言いながら、福島を出ないということで、「危険だと言いながらいるのだから、本当は危険ではないのではないか」という声が、浴びせられた人もいる。
「残るも地獄、出るも地獄」と言われている。
東京に避難している人たちも、楽に生活しているわけではなく、「福島に帰りたい」と思っている。
避難先も、1位は山形で、2位は米沢で、3位は新潟、4位は北海道という順序になっている人が多い。
一旦出ると、例え将来、線量が減ったとしても、帰れないと思っている人が多い。

また、福島出身ということで、差別されるのではないか、という気持ちが非常に強い。
実際に、子どもを幼稚園に入れようと連れて行ったら、「福島の人は遠慮して下さい」と断られた例がある
人権問題にしようと思ったが、お母さんが、「幼稚園の名前は絶対に言わない」と頑なに拒否するので、それ以上できていない。

福島で、健康相談会をはじめて驚いたのは、400人くらいきたこと。
東京でも沢山くるだろうと思って、東京で相談会を開いたが、30人くらいしかこなかった。
福島の人たちは、避難先で、福島出身ということを明かさない、としているようだ。
例えば、江東区の東雲(しののめ)に固まって避難している人たちは、福島出身だということがわかっているはずだが、
それでも、外と連絡をとりたくない、という人が多い。
広島の被曝者が、被曝者であることを隠してきた、ということを、福島の人たちが知っているわけではないと思うが、直感的にわかるのかと思う。
福島のお母さんと話していると、女の子は、福島とわかると結婚できなくなる、子どもを生めないのではないかと心配している。
福島という名前で差別されるということを、実感している人たちが多くなっている。


被曝と補償の関係

福島に残った人で、「心配だ、不安だ」という人には、風評被害だ、という非難が集中するという、つらい状況にある。
どうして、山下俊一教授が活躍して、「なんでもない」と言うかというと、補償の問題があるからだ。
平凡社新書で出ている、「被ばくと補償」という、直野章子さんが書いた本がある。
「広島、長崎そして福島」と書かれているが、広島での補償の状態が書かれている。

広島で被曝した人たちについて、いろいろな形で書かれている。
直接、爆心地近くに入って動き回った人たちも、被曝の対象になっているが、遺体を10体以上収容・処理の作業をした人が、被曝者と認定されている。
9人の遺体を処理した人は、被曝者にならないけれども、10人を処理した人は、被曝者になっている。
あとから被爆地に入って、遺体を収容したお母さんや、背中に負ぶわれていた子どもで被曝の対象になるのは、2歳以下の子ども。
実際に赤ちゃんを背中に負ぶったお母さんが、小学校の子どもの手を引いて、被曝者10体以上の収容を手伝ったが、
赤ちゃんとお母さんは認定されたが、小学生はどこにも入らなかった。
3人連れで歩いていながら、小学生だけ認定されない、という、悲惨なことが起きている。

実際に今問題になっているのは、内部被曝、低線量被曝であり、広島では補償されていない。
沢山の被曝者が、切り捨てられている状態で、今、低線量被曝について語ることができるのは、肥田舜太郎さん、矢ヶ崎克馬さんといった、お医者さんたちだが、この人たちは、被曝者の訴訟に関わってきた人。
そういう人たちしか、低線量被曝した人たちに寄り添ってこなかった。
ほかの人たちは、多くの専門家たちは、低線量被曝、内部被曝はない、ということにしてきた。

1991年に亡くなった、中川保雄さんという人が書いた、「放射線被曝の歴史」という本や、
チェルノブイリのあと、カール・Z・モーガンという国際放射線防護委員会で、最初の委員長だった人が、1994年に書いた、「原子力開発の光と影」という労作がある。
モーガンという人は、低線量被曝、内部被曝を告発したから、委員長をおろされた。
「モーガンは立派な人だが、精神状態に異常をきたして、変なことを言うようになった」という情報が、日本に入ってきたが、
この本は、モーガンが、91歳の時に書かれたもので、立派な本。
モーガンやゴフマンなどは、追放されている。
ロシアでも、チェルノブイリで、真実に近いことを伝えた学者たちは、ほとんど追放された。
旧ソ連の学者では、ヨーロッパに亡命している人もいるし、汚職をデッチあげられて、禁固刑になった人もいる。
放射能の健康被害について告発した人たちは、ことごとく抹殺されてきた。
今回の福島についても、最初から被害隠しが行われている。



研究材料としての健康診断

国は、勝手に健康診断して、あとになって、「なんでもなかった」という結果を出してくる。
東海村の臨界事故で、3人の作業員が、高線量の被曝をしているが、2人亡くなって、1人はその後、どうされたかよくわからない。
それ以外に、二百数十名の人が被曝している。
この人たちは、体の中のナトリウム量を調べ、1番多い人で、42シーベルトだった。
それで、50ミリシーベルト以下では、将来にわたって影響はない、ということで、事故調査委員会は終わりにしてしまった。
蓋はしてしまったが、この人たちは、毎年健康診断をしている。
広島もそうだが、治療の対象ではなくて、研究材料にされている。
アメリカにとって、広島・長崎は、爆弾の威力を計る実験だったわけで、放射線の被害を浴びた人たちが、どんな状態か知りたかったはず。
そういう意味では、調査・研究はするが、「健康被害が出るかもしれない」と言うと拙いので、そういう言い方はしない。
東海村事故の時も、毎年やる健康診断については、
「健康被害はないのだから、毎年やる必要はないが、住民の中に不安を持つ人がいるので、不安を解消するために健康診断をやる」と言っていた。


今回の福島についても、18歳以下の甲状腺癌の調査をやる、ということを発表した際に、
東京新聞の記者が、山下教授に聞いたら、「健康被害はないのだから、本当はやる必要がないのだが、住民の不安に応えるため」と言った。

健康診断をやる場合、最初から、「全員異常がでない」ということなら、健康診断などやる必要はない。
今、福島では、「ない」と想定した上で、健康診断をやっている。

最初、浪江地区とか大熊地区とかの、強制避難地域の住民には、60ページの分厚いものが渡されて、
3月11日以降の、行動記録、食事記録を、全部書けと言う話だった。
そんな周辺の人たちは、11日から14日くらい、ほとんど何の情報もなく、食事のことなど覚えていない。
私たちが東京で、水素爆発の状況をテレビで見ていた時に、水素爆発を知らなかったという人が、あの地域に多数いる。
ほとんど、噂がネットで伝わったという状態で、電話も電気も使えない状態だった。


3月12日の、沢山の放射能が降り注いでいる状態で、背中に赤ちゃんを負ぶって屋外で待っていた、というお母さんが何人もいて、悔やんでいる。
東電や国を責めるのではなく、自分を責めている。
自分がうかつで、情報をつかめなかったために、この子をこんなにしてしまった、と思っている。
お母さんの責任ではなく、国や東電が悪いのだが、実際にはそういう人たちが多い。
避難所にいれば、食事の状態なども分かるのだが、日常生活の延長は、特別なことがないから覚えていないし、書けない。
回収率は悪かったのだが、行政が書けというので、かなりの人が書いた。
その結果、勝手に、線量が1人1人出され、「このくらいの線量しか浴びていないので、一生健康については問題ない」と書かれたものが返ってきている状態。

こんなものが、信用できるわけはない。


全ての問題は被曝の問題だ

結局、全ての問題は、被曝に対してどう補償されるのか、という問題であり、
現地の人達も私たちも、被曝手帳を早く作れと言ってきたが、作らないし、被曝者認定はしていない。
実は、被曝者という言葉は使わない方がいい、という意見もある。
被曝者と言うと、証明しなければならない。
どのくらいの線量を浴びた、という線引きがされてしまう。
それは、被害者を限定することになる。
実際には、被曝量はわからない人が多い。
被曝者というより、被害者というほうが正しい
、と思う。
そして、最低限、一生にわたる補償をしてくれないと困る。

国は、補償を少なくするためには、被曝者を最小限にしようとする。
結局、チェルノブイリでも、国際的には被害を最小限にして、子どもの甲状腺癌だけが被害であるように言ってきた。
しかし、それ以外に、大人にも子どもにも、各種の癌が増えているし、免疫力の低下や、循環器の異常など、さまざまな被害が出ている。

しかし、因果関係が証明されないということで、原発の被害、ということになっていない。
甲状腺癌については、隠しきれなかったということだが、日本では、甲状腺癌さえも隠そうとしている。

補償の問題になると、因果関係の立証ということになるが、放射能が原因ということを証明することは、ほとんどできない。
どれが原因か明らかにする力は、今の医学にはない。
放射能特有の症状、というのはないので、ある地域で、年間1人しか甲状腺癌が出なかったのに、10年後に10人に出たとしたら、影響があったと認めなければならない。
だが、1人1人、放射線の影響があったなかったと見分けることは、医学の力ではできない。
そうすると、全ての子どもに、放射線の影響はないとして切り捨てるか、全ての子どもに影響があり、補償の対象にするか、どっちかしかない。

加害者側がそうじゃないと証明できないかぎり、全ての人に補償すべきである、というのが、森永ヒ素ミルク中毒事件、水俣病でやられてきたもの。
これが、福島では非常にしにくい。
ひとつは、地域が限定できない、そして被害者が、非常に多いことが要因である。


マスコミの状況と避難問題

今、渡利地区が問題になっている。
しかし、こうした現地の情報が、全国に伝わらない。
東京新聞、共同通信くらいは、現地に入って取材しているが、ほかのところは現地取材をしないで、記者クラブ情報だけ。
福島民報は、県の御用新聞みたいになっているので、
「福島は大丈夫・安全」「全ての検査をしたが何の被害も出ていない」という報道しかしない新聞になっている。

その受け売りをしている東京の新聞を読んでも、福島の状態はわからない。

渡利地区は、福島の中心部に近い地域、阿武隈川をはさんだ向かい側が、官庁街という立地。
渡利地区を汚染地区にすると、福島市全域を避難地区にせざるを得ない。
福島市全体を避難地区に指定すると、20万人規模の人達が、補償の対象になる。

渡利地区は、線量を測ってみると、4マイクロシーベルトという、東京から見れば100倍くらいの線量があったりする。
実際に、2月に相談を受けたおじいちゃんは、「家の中であちこち線量を測ったら、20マイクロシーベルトもある場所があった」という、恐ろしい地獄のようなところで暮らしている。
福島が避難地区と認められないと、それより少し低い郡山などは、到底認められない。
渡利地区は、橋頭堡のところであり、渡利地区を認めさせることができれば、もう少し避難地区を広げられる。
そのへんのところで、闘いが止まっている、というのが今の状態である。

実際に、水俣病の闘いのことなど考えれば、今度の事故で、東電という会社の入口は座り込まれて、機能停止になっていても当たり前だと思うが、
敵が国なのか、東電なのか、見えにくい状態になっている。
私は、もはや、国が相手ではなくて、核保有国・国連レベルの問題であると思う。
基本的には、アメリカの問題だと思う。
情報も、アメリカが流していい、という情報は流せるが、流していけない、という情報は流せない状況であって、
山下俊一教授をはじめ、専門家といわれる人達も、アメリカの傀儡だと思う。
ABCCの流れを酌み、放射能の被害をできるだけ低くするように、世界規模で押さえつけている。
福島原発事故は、非常に大きな事故であって、世界的に見て大変なことが、日本で起こっている
のだ。


集団訴訟を起こし、福島を切り捨てない

これから何をするかだが、非常に大きな問題が沢山あって、とにかく早いうちに、集団訴訟を起こすことが必要だと思う。
今は、10何人の訴訟が行われているが、もっと大きな訴訟にする。
東京など被災地だ、と思っている人達を集めて、大きな訴訟にしていかないと、風化し、新聞社も関心を失っている状態になっていく。
とくに今年になってから、避難という言葉もあまり使われなくなり、かわりに、保養をすすめようということになってきた。

これまで、子どもたちを、1週間、10日と疎開させる、ということをやっていたが、その程度のことでは間に合わない。
子どもたちの体の中からセシウムを出すために、北海道と福島の学校が提携し、1年生が北海道の学校に通って1ヵ月したら帰ってきて、その後2年生が行くとか、長期の月単位の保養をしていこう、という話になっている。
それは、国が何もしない、補償の見通しもない、生活を立て直してくれるという方向性も見えないなかで、悲しい選択だと思う。

私たちは、沖縄を切り捨て、広島を切り捨て、長崎を切り捨ててきた。
そして、何もなかったかのように復興してきた。

福島についても、福島を切り捨てた上で復興しようという姿勢が、国に見えている。
その中で、切り捨てられまいとして、福島があがいているというのが、今の状態だと思う。
福島の問題は、福島だけの問題ではない。
私たちは、沖縄、広島、長崎、第五福竜丸を切り捨ててきたという歴史を、今こそ断ち切らなくてはならない。
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ヨーロッパマイクロシーベルトチェルノブ第五福竜丸救援連絡センターシーベルト国際放射線防護委員会