ネット伝道と私 音楽伝道 思いつくままに10数年の歴史 ミカエル 松浦 悟朗 司教様 ステファノ
加藤 邦雄 まず始めに、「淺川 善弘(異端)」などの情報が挟み込まれる為、一見カトリック非難と思われる箇所も出てきますが、そう言うつもりは、まるっきり・ありません。又・自分は「発達症候群」な為、無意味な争いをされ・あるいはぶつけてきた事も事実です。しかしながら、野村純一司教様や・岩崎一二三神父様が、誤解されたような「どうせあいつには言っても聞かない」? のではなく、信徒使徒職としての「ネット伝道」、このさきがけであった事実と、人に誇るのではなく、神様には誇って良いのではないかと感じていまして、松浦司教様に手紙を出させて、頂いています。 そして、2001年頃から作り出してきたHTMLは現在でも動いています。その為、司教区にあるパソコンを1台インターネットと接続し、当方が説明させて頂く・URLを順次・開いて頂きたく思います。その目的の為に、USBディスクを同封します。これをパソコンの端子に差し込んで頂ければ、繋がります。主要なページは、東京大司教区の、ある教会に所属する、ジョージ兄の(プログラム)作品ですが、中に入っている音源の大部分は、私が演奏した物です。 物語を始める前に、引用する書籍の出典。①日本カトリック司教協議会イヤーブック2015、②キリスト新聞社「キリスト教年鑑」2010、③同じく・2015、④日本カトリック典礼委員会「ミサの式次第(増補版)」、⑤第二バチカン公会議・公文書(改訂公式訳)などです。ほかの書物を引用する場合は、その都度挿入いたします。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/Jasrac_kanrikyoku/sekai_no_minyoo/sekai_no_minyoo.htm ① 音楽伝道を志ざしHOLY_RING から誤解され、ジョージ兄の奥さんが持っていたサーバーに仮住まいさせてもらい、HOLY_RING のサーバーを借りた時まで。 本来ならば、メインディレクトリーから説明するのが普通。しかし、このホームページから始める理由があります。このアドレスページの冒頭に「各社のホームページやJASRACに告げ口が相次ぎ」と書きました。 その歴史をかいつまんで執筆してみます。大まかに二つ・あります。 (A) (1)野村純一司教様・開校の「聖書A講座」を終えました。(2)例の発達症(頭でっかち病)にて、自ら「布池教会」から転籍・高校時代にイエズス様が私に「聖霊」を入れた・港教会に頼み込んで移籍。(3)ネットの世界では「パソコン通信」から「インターネット」の時代へ。機種は★ウインドウズ98の頃。---カトリック教会群のネットに対する方針については、後で一項を設けます。(4)・(10億信徒が「信徒使徒職ならば」)、自分に、出来る仕事はないかと思った事。(5)パソコンは持っています・小型の性能の良くないDTM(コンピューターで働く・シーケンス楽器)が開発されたので、それを買いました、(5)幸いに、鍵盤は弾けない物の、楽譜の読み書き算盤は出来ます。オルガニスト用の「典礼聖歌」は廉価で買えました。(6)それを読んで見ると、400曲ある楽曲のうち、100曲ぐらいをロボットを使って演奏すれば、ホームページに載せることが可能でありました。ここまで、何年掛かったのか、自分でも、良く分かりません。 (B) 道具が揃ってから、約2年ほど掛けて、100曲分、弾き切りました。所が私は、当時、ホームページに入れる方法を知りませんでした。もちろん、正規の電子メールアドレスを持っています。 stephano@nyc.odn.ne.jp そこで、言わば・冗談で、「1枚・1万円でホームページにしてくれる人・いませんか」と自分の掲示板で訴えを出しました。散々・苦労しまして、淺川義弘・松川善明のグループにめぐり合いました。当時のmidプログラムは専ら・DTMを遠隔操作させるのが目的であり、携帯電話やPCも満足な性能のある機種は無い時代なので、それぞれのパソコンが持っている貧弱な音源でもよかったし、こちら側の楽器の性能も、それ程よくは在りませんでしたが。 さて、二人とも異端でありました。そして、理論上並びに、人間としてやってはならない事件を淺川は松川にしかけ、松川は異端から離れる為に、掲示板を通して・カトリックの兄弟に助けを求めました。立ち上がったのは、津教会の在俗司祭・フランコさん、東京・豊島教会の・自称・教授、そして私たち、確か6人だったか?
松川の尽力で辛くも「典礼聖歌選集・ホームページ」は完成しました。しかし、持ち主である私に、IDとパスワードは、とうとう、渡してはくれませんでした、ね。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/JASRAC_MONDAI_01.html まだ、この事件が始まる前の事ですけれど、著作権の世界では、キナ臭い状態が近づいていたので、カトリック典礼委員会に対して・直接、著作権・許諾を希望、正式に許諾されています。しかしながら、「EOS」と言うDTMを改めて・購入、以前の物と聞き比べて、余りにもひどい音質なので、自然消滅と言う事になったのかな。そして、自称・教授から自分で作ってみろと、ビルダー・2.5が送られてきました。と・その頃、「午後のコーダ」と言う、ソフトが開発され、無料でネットに配信されました。 Mid時代からMP3圧縮の時代へ。 独学です。 淺川義弘と言う人物。埼玉教区・川越教会。グェン・クック神父様の前任者の時代。共助組合・日本共助組合全体の評判も良く、ある年の・全国大会の議長を務めた男です。また、パソコン通信時代に、その「福音宣教」性を見抜き、川越教会のホームページを完成させています。それは、プロのSEを呻らせる出来栄えで、埼玉教区のSEも、これはと感じたのではないでしょうか? ホームページの中に、誰もが質問等の書き込みが出来る掲示板を併設したのも、彼の功績ではあります。しかし、いつの頃からか、共助組合の(イワユル)公金を横領したりし始め、小教区から放逐されるようになって行きます。何のために私の演奏著作物を必要としたか、今・持って、判りかねます。 http://www1.user.kcv-net.ne.jp/kawagoecatholic/ これが、2002年に作成された、正規のホームページです。淺川のホームページは、現在・壊滅していて、検索データから外されています。しかし、この掲示板は、(これも・逃げ惑いつつ)現在も存在。私への誹謗が残っています。 http://441.teacup.com/KISIMEN/bbs/196 さて、メインディレクトリは、典礼聖歌集ではなく、世界の歌謡曲集として、2003年に完成させました。当時の音楽ホームページ作家は、JASRAC許諾を貰う事はせず、半ば・堂々と(内緒で)公開していた者がほとんどでした。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/Jasrac_kanrikyoku/sekai_no_minyoo/sekai_no_minyoo.htm http://www1.odn.ne.jp/~cga44240/index.htm ↑が、メインディレクトリです。問題は二つありました。(1)ソフトバンクテレコム(当時は日本テレコム)のホームページ容量、絶対量が不足している為、MP3アナログとした場合、連結するサーバーを見付けなければならなかった事。それは、プロのSEの間では、ウイルスを仕込む目的のリンクの仕方である事。(2)ジョージ兄の奥さんから借りているサーバーも飽和してきた事。そこで、HOLY_RING に相談。著作権の問題はあるけれど、「意見の差はあっても、とりあえずはサーバーを貸します」と言う事で、米国の某・大学のサーバー(の1単位部分)に収納させて貰いました。 ② 一応の完成を見たので、所属教会の「山口正美」神父に、信徒みんなで、音楽を聞きに来てください、と、気楽に話しました。そしたら、 怒り狂って曰く「おまえ・なんかは、信徒使徒職ではない。ただちに、そう言う事は止めなさい」。返して、「止めません。ミサ権はあなたたちの物だ。位階を大切にするは信徒の義務。しかし、信徒使徒職の権限を制限する義務はあなた達にはない」と突っぱねました。第二バチカン公会議・公文書440-441ページ。命令番号970-976・参照。また、インターネットや #Twitter が存在し得なかった、頃の話なんです。故に、第二バチカン公会議・公文書において、115ページ、広報メディアとカトリック教会の使徒職は、むしろ、信徒が・専門的知識を持たない、司祭→司教を教育しなければならないのではないかと、今は感じています。 私がミサに出ていない時、 港小教区に所属している信徒に向って、説教にて、「加藤が開設しているホームページに入ってはならない」と、言明しているのだから、何をか、況や。 今の所、この事実は、後ほど評論するとして、先を急ぎましょう。 それから数年後、松川が電話で泣きついて来ました。完全に淺川と手を切る為に力を貸して欲しいと。私は返して曰く・「川越教会とその共助組合を守るためだったら協力する」と。松川が私宅に紙で「「訴状」を郵送してくる。私は16枚コピーし、司教区に送る。それで良いか」と尋ねました。「可能ならば是非やってくれ」、との事。私は曇りが無い。マリアさまに仲介を依頼、ただちにそれを実行しました。また「山口正美」神父が詰問して来ました。小聖堂に呼ばれました。小さな声で、「加藤・おまえは、ここにおいておけない。ほかの教会に移ってくれないか」。あの時の目のどんよりさは、懸命な司祭の物ではなかったです。気持ち悪い目をしてたのを、はっきりと思い出します。御聖堂建築において、信徒会から突き上げられていた頃の話でもあります。私は、
癲癇とパニックを同時に起こし、「一人の羊も助けられんのか」と大声で怒鳴りまくったのです。あれから、10年近くは来ているのでしょうかねぇ。口聞いて来ないです。それだけでなく、和解の福音と言う意識は、あの男には無いでしょうね。 松浦 悟朗 司教様 疲れましたか?
しばし、音楽を聴きましょう ③ ホーリーリングが、私のホームページを完全に削除しました。 「著作権違反は事実だ・故に、貴方のホームページを残すわけには行かない」と言う事です。もちろん、サーバーの担当者は「新潟レコード喫茶スワン事件」も知っていたはずです。しかし、JASRAC側に立ち、あえて、裁判の一審・二審の書類を電子メールした者は誰か。淺川とその残党である事は、容易に想像できます。私は二度目の窮地に追い込まれました。 今度は理解者も増えていたので、それほど苦労はせず、彼らから、岐阜の「どらとも社」を紹介して貰いました。しかも、容量は無制限で、三年間を単位として、3000円との事。事情をきちんと伝えて、一般的には、JASRACの許諾を取る局は少ない旨も理解して貰いました。まぁ、念の為、許諾が取れる前例は無いのですが、申請だけはして見ました。2013年、6月。許諾が貰えました。電子印紙が来ました。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/music.htm http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/chosakuken_keiyaku.pdf 時を同じくして、サーバー会社からこんなのが送られてきたよ、と、裁判用警告文の現本が郵送されて来ました。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/music_home/jasrac_kujyoo/jasrac_kujyoo_dayon.htm ここに至っては、明らかに、彼らの敗北です。電話でのいたずらも止まりました。現在の収容・音楽数、1500曲に近づいています。 カトリックと言う井戸の水を飲んだ兄弟姉妹。異端教を作らせる事は阻止した物の、何処かで、「赦しの秘蹟」を受けているのであれば、それはそれで、演奏著作権者(信徒使徒職)としては、よろしいんじゃ、ないでしょうか? ここに、現在の「総合ディレクトリー」案内を、挟みます。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/soogoo_annai.html ④ データベースとは何か 私の所のホームページも、広い意味ではデータベースです。 http://doratomo.jp/~maria_telejia/bachican_home/shuukyoo.htm (1) プログラム形式で書かれている事(私の所の言語はHTMLです)、(2)他のホームページとリンクされていて、利用者の利便性を高めていること、(3)出来るだけ公開リンクになっている事、です。街の本屋さんで、欲しい本が見つかり・本屋に在庫がない場合、書店組合の社長さんだったら、ISBN番号で検索し、取り寄せてくれます。「ミサの式次第(増補版)」であれば、ISBN978-4-87750-189-1です。 データベースプログラムと言う代物は、財産です。人件費と労働時間の塊と言って過言ではないのです。 また、プログラムの特性から、NOT-FOUND を出すようなプログラム作りは、SEデザイナーに取って恥です。Catholic-Nagoya-Diocese を組んだSEさんは、司教カット(小さな絵)の特徴から、一人で作成した物と思われます。私がホームページプログラムを組み始めてから10数有余年。三回・変わっています、ね。© 著作権の問題であるので、利用者は何も申し上げる権利にはないです。まあ、リンクとして集めたデータは、カトリック名古屋司教区の財産であるはずです。捨ててしまう事はもったいないと考えます。 一回目のプログラムは「福音」と「学校や病院」など、名古屋司教区に草鞋を脱いでいる小教区の者ならば(況や・カトリック以外の人でも)検索出来るだけの、充実したデータベースでした。二回目のプログラムは、神父様・シスター・ブラザーを対象として、IDとパスワードが要求。信徒の私達は蚊帳の外となりました。三度目は、バチカンの公式サイトが二箇所・中央協議会でも二箇所・布池教会とその青年委員会。後は16箇所の司教区のみ。ここから、例えば・聖霊病院に、どうやって接続しろと、おっしゃるのだろうか? 「わたしたちの教区」と言うページを開いて見ました。 日本カトリック司教協議会(イヤーブック)を毎年購入すれば、信徒して、全ての司教区の情報(特に人事関係)は、閲覧できますよ。もちろん、これらも、データベースとして、必要です。ホームページのデータ(リンク表が豊富な、データベース)は、福音発布(信徒も宣教して良いのであれば・信徒使徒職と言う名称の分野では)必要では無いかと思います。 私どものホームページは、以上のとおりであり、いささか・問題が多いと思います。もし、個々人の信徒使徒職がデータベースとして収納されたとしても、私は入る事を拒みます。しかしながら、個々の兄弟姉妹が、職場や学校・家庭や地域で、宣教に励んでいる信徒を確認できたら、どんなに素晴らしい事でしょう。 山口正美神父様においては、説教の中なんかで、「プロテスタントは異端だ」とか、灰水に使う棕櫚の枝を「どうせ教会で燃やしても家庭で燃やしても・・」、何か、面白い事を説教でおっしゃってます。説教武勇伝には事欠きません。しかし、(1)松浦司教様が(司教任命)された事と共に、それゆえに、(2)自分に降りかかった災難の話だけに、留めて置いた方が良いような、気もして。 ここに、私の、「すちーぶの音楽衣装箱」の歴史、一巻の終わりと・致します。 |