西行

西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉 - 文治6年2月16日〈1190年3月31日〉)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人でもある。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。
憲清、則清、範清とも記される。
出家して法号は円位、後に西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
和歌は約2300首が伝わる。
勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。
『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)
をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。
家集に『山家集』(六家集の一)、『山家心中集』(自撰)、『聞書集』。
その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。
鴫立沢
奥州下りの折、神奈川県中郡大磯町の旧宿場町(江戸時代における相模国淘綾郡大磯宿、
幕藩体制下の相州小田原藩知行大磯宿)の西端(江戸時代における淘綾郡西小磯村付近、
幕藩体制下の寺社領相州西小磯村付近、鎌倉時代における相摸国餘綾郡内)の海岸段丘
を流下する渓流にて、下記を詠んだと伝えられる。
《原歌》
心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立たつ澤の 秋の夕ゆふぐれ
《口語解釈例1:一般的解釈》 角括弧[ ]内は補足文。
[私のような]風流を解する心まで捨てたはずの出家の身であっても、
しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。
鴫(しぎ)が飛び立つ沢の夕暮れよ。
《口語解釈例2:白洲正子の解釈》 角括弧[ ]内は補足文。
物の哀れを知ることが不十分な[私のような]身であっても、
しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。
鴫が飛び立つ沢の夕暮れよ。
「鴫立沢(しぎたつさわ、旧字体表記:鴫立澤、古訓:しぎたつさは)」は
「鴫の飛び立つ沢」を意味するだけの、ありふれた地名であったろうが、
いつしかこの地は西行の歌にちなんでその名で呼ばれるようになったと思われる。
時を下り、伝承にあやかって江戸時代初期の寛永年間(1624-1645年間)に結ばれた
「鴫立庵」が今も残る。
晩年の歌
以下の歌を生前に詠み、その歌のとおり、陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に入寂したといわれている。
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ ──『山家集』
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 ──『続古今和歌集』
花の下を“した”と読むか“もと”と読むかは出典により異なる。
なお、この場合の花とは桜のことである。