インドから愛媛の海端へ
こんな田舎のカアチャンの話 
 〜かんまん部屋プロジェクト〜
○「草のみどり」(2010年9月)掲載
○中央大学父母連絡会 発行

上原若菜



古民家改修プロジェクト

 この9月末に第二子を迎えようとしている。と、実は、同じ頃に生まれようとしているものがもう一つ。それは、家。実は先日、近所に築約120年の古民家とその土地を購入した。数年前にここに一人で暮らしていたおばあちゃんが亡くなって以来空き家となっていたという。とはいえ、家の材が良く、土台はしっかりしている。

 家の中を探索してみると、天井近くに昔お蚕さんを飼っていたと思われるスペースがあり、床下にはここらで「イモ壺」と呼ばれる、乾物などを収納しておけるような空間がぽっかり。他にも、囲炉裏や五右衛門風呂、土間の台所には石作りの流しと煉瓦の釜戸。どこをどれだけ生かして暮らしていけるのか、どれだけの改修作業が必要なのかドキドキとそわそわが、止まらない。

住宅事情

 現在の私たちの住まいは、集落の中に建てられている「農業後継者住宅」と呼ばれる市営住宅である。きれいで収納もたくさんあり、暮らすのには全く問題ないが、古民家を借りて暮らすイメージを持って移住してきた私たちにとっては、物足りなさがある。集落の周りの家々が醸し出す木造の家々や背後にそびえる段々畑が醸し出すここの風景の一部にもなりたいのだ。
 また、ここらで空き家を借りて暮らす際の家賃の相場は1万円以下。となると、やはり現在の住宅の家賃は高めだ。とはいえ、この地域では、空き家はあるが借りる段取りをつけるのは意外にも難しいのが現状である。理由は様々で、都市に暮らす親戚が年に一度帰ってくる、残っている荷物の処分や修理が必要な際の経費の交渉が面倒、見ず知らずのよそ者に貸すにはためらいがある、等々、地元の人でも空き家を借りるのは難儀な状態だ。自治体によっては、家の斡旋や改修費の補助などの支援政策によって外からの移住者を呼び込もうとしているところもあり、うらやましい限りである。
 暮らす家に関してはどこか吹っ切れないところを抱えつつも、家の空気はどんな環境でも明るく楽しくありたいと、前向きに生活している。ドアはいつも開放しているので、近所の人が野菜を持ってふらりと立ち寄ってくれたり、近所の子どもたちが勝手に遊び回っていたり。そんな風に暮らしている。

自然な選択として

 購入の話がぽっと湧いて出たのは3月下旬頃。元々は、無茶々園創設者の一人であり、かつ私たちのホストファーマーである齊藤家に持ちかけられた話だった。所有者は県外在住のため、この地域にいる仲介人を通して信頼できる家一軒一軒に話を持って回る。「この土地売出し中」と大きく公開するのではないので、齊藤家に話が来なかったら、新米の私たちが知る由もない水面下のやり取りだ。(ちなみに私たちは、齊藤家に農業だけでなく生活面においても家族同様大変お世話になっている。)ここでの生活を長期的に考えると、やはり拠点となる家が必要かなとは思っていたが、まさかこんなに早く家と土地を所有することになろうとは。唐突な話ではあったが、思い切ることにした。今住んでいる住宅の3軒隣で、隣接するご近所さんが皆とても素敵な人たちであること、最低限の改修は必要としても家の土台はしっかりしていること、これを逃したらもういつ来るか分からないチャンスであること、を考慮すると、やはりここは決める時なのかもしれない、となった。

周囲の反応

 地域の人々の反応は様々だ。市営住宅で家賃を払い続けるより合理的だねと理解を示す声あり、空き家が生かされること自体を喜んでくれる声あり。一方、就農なり無茶々園への就職なりで移住してきた比較的若い人たちの間には衝撃が走ったという。それは、いずれかは自分たちも直面する家探しを思い出させると同時に、私たちのこの決断を「上原家の定住の覚悟の証」と受け取ったからである。
 かくいう私たちは、割とひょうひょうとしている。大きな買い物には間違いはないが、私たち自身もこの先どんな人生が待っているか分からないし、資産としての家や土地への執着も全くない。けれど自然な流れとして巡ってきた縁、向き合ってみようと思っただけだ。けれど、これで生活にも活動にも拠点を得た。こうなったからには、今まで以上にのびのびと開放的に、「みんなの家」を目指したい。住んでいる私たちだけでなく、徐々に地域の人の活発なグループ活動や交流の場になれるよう夢見ている。さらには、有機農業に関心のある国内外の研修生や見学者が多いこの地域にあって、そうした外の人との積極的な交流点としての機能も目指している。この新たな拠点づくりを通して、さらに地域のことを知り、より貢献できる推進力になりたいと願う。ちなみに、この改修作業を私たちは「かんまん部屋プロジェクト」と名付けた。「かんまん」とはこの地域の方言で、「(何でも)構わない」「問題ない」「ОK」といった意味で日常的によく耳にする言葉だ。「誰でもかんまん、入んなさいな。一緒にやろう」そんな思いを込めている。

内外の協力者

 改修作業は、工務店などに一括委託するのではなく、直営方式で行うことにしている。こうすることで経費は削減できるし、愛着も湧く。改修のデザインとマネージメントを担ってくれるのは、は千葉県で設計事務所を構えている連れ合いの先輩。連れ合いとこの先輩は、同じ大学の研究室でまちづくりに携わっていた師弟関係である。また、一匹狼で日本中を旅している棟梁さんが9月に到着する。さらに、建築学部の院生さんが、建設ボランティアとして来てくれることになっている。もちろん食住の提供は我が家の役目であるが、こんなありがたい協力者はない。もちろん連れ合いも、農業の合間に大工仕事を手伝う。棟梁に少しでも技を習って、今後自分で何か修理や改築ができるようになろう、と意気込んですらいる。
 私の役目は、こうした協力者の食住のお世話と無事の出産。実はこちらの仕事にも強力な助人がいて、産前産後には時期をずらして妹、母、叔母、高校以来の友人が来てくれることになっている。この地に親戚がいない私たちにとって、こうして遠路はるばる足を運んでくれる仲間と親族のありがたいことといったら。何よりの資産である。
 親戚がいないと言っても、親戚のように世話になっている地域の人々を忘れてはならない。棟梁の到着までに古民家に対してしておかなければならない宿題がたくさんある中で、先日も一緒に一部解体作業を手伝ってくれた。自ら足場を組んでひょいひょいと登って作業を進める70代現役農家のおじいちゃんあり、黙々と作業に熱中する若手あり。日曜日を丸一日私たちに付き合ってくれた。また、雨で山に行けない日は、連れ合いが一人でせっせと大掃除や撤去、壁取り壊しなどを行っている。何年も閉じられていた窓が開け放たれ風が通ると、外からも通りすがりの近所の人たちが声をかけてくれる。この若い夫婦があの家を買ったぞ、と一瞬にして噂は広がっているので、「おぉ、やっとるかぁ」「どこを食卓にするんじゃ」「宴会の度に教えなさいな、あたし踊りに来るけん」などと、興味津々で覗いていく。彼らにこそ心地よいと思ってもらえる家を作らねば。単なるよそ者の奇抜な生活だけではいけない、と緊張も走る。

目指すは秋祭り

 10月下旬には、この地域挙げての一大秋祭りがやってくる。それが過ぎると一気に冬に近づき、蜜柑山も収穫などで繁忙期に突入。動き出したからには、何としてでもこの時期までには引っ越しを済ませて落ち着きたいもの。自分たちが、地域の人が、そして外から来る人がのびのびして元気になるような、そんな空気と構造を持った私たちの家づくりプロジェクトが、始まったところである。




メイン通りからの家の様子。家の前の川は、山から海へとまっすぐ続く。



 




 

 

家の中を娘と散策中。玄関を入ると土間が広がる。



 




地域の人の協力を得ての解体作業。お隣のおばあちゃんも見学に来た。








    
解体作業の後は、お疲れさん会。どんな家になるのか、話もはずむし、酒もすすむ。







  
窓辺の父子。さぁ、どんな未来が待っているかな。



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