僕たちの農業 〜この一年目を振り返って
○「天歩」(No.109、2010年5月)掲載、一部修正加筆
無茶々園
発行

うえはらゆうき



 明浜のみかん山ではそれぞれの樹に新緑が伸びだし、白い蕾が膨らみ始めています。柑橘にはいろんな種類がありますが、この様子をいち早く知らせてくれるのが伊予柑です。自分自身で肥料をやり、はさみやのこぎりを入れて枝ぶりを整えた樹に、淡い色の柔らかくつやつやした葉が揺れ、今年もまた花をつけている。この姿には、頼もしさというか、何か熱いものを感じます。
 僕が農業を始めて一年が経とうとしています。この時期に、それを振り返るのにちょうどよい機会がありました。
 先日、東京都の世田谷区立喜多見中学校の食育授業に参加しました。総合的な学習の時間を活用した農業体験や給食指導に取り組み、そのほかにも実践的な研究活動をおこなっている熱心な学校です。明浜に戻ってきて数日後には、授業に参加した生徒みんなが書いた感想文が届き、読むと、みんなよく聞いてくれていたと感心します。こんな印象の残し方をしてくれたのかと少し驚くこともありました。素直に嬉しいものです。よかったよかった、と今は安心できますが、ですが授業がはじまるまでは、緊張もありました。
 単純に無茶々園をアピールすればよいだけのことではありません。我が子ならいざ知らず、ましてや特別講師としてこの青年たちにわざわざ聞かせるだけの話ができるだろうか。自分はそれだけの生き方をしているだろうか。いや、僕だけの話では心もとない、それでは明浜の農業にはどんな魅力があるだろう? そしてそれを支えるこの地域は、いま、どうなっているだろう? 授業が始まるまで考えている間は、いろんな人の顔が次々と思い出されて、緊張の中でもつい笑い出してしまうこともありました。これまでのことをじっくり思い起こしていきます。
 音楽室に二年生全員と各クラスの担任が集まり、総勢百名くらいだったでしょうか。明浜の地形の特徴や、条件としては決して有利な場所ではないこの土地で農業をする意味やその価値、無茶々園の商品紹介、僕自身のキャリアや町作りのことなど、考え出せばいいくらでも見つかったしゃべりたいことから、ひと続きの物語を作り出して話します。活発そうな男子生徒が折りよく僕の目の前に座っていたので、斜めに倒した学習机の上に彼を乗せて、斜面園地の体験もさせてみました。少しもじっとしていられません。この実験が印象に残った生徒も多かったようで、感想文にもこのときのことが何度も登場します。
 質疑も多く、生徒も案外楽しんでくれたようです。最後には何人もが近寄ってきて「明浜に行きたい!」と、僕の連絡先を聞きだそうとし、それをこの授業をアレンジしてくれた稲岡栄養士が制します。そのやり取りが愉快です。おお、来いヤ!
 僕自身が東京の出身であるために今になってよく分かるのですが、都市と農村が、場所や距離の面でも、文化や認識の上でも、これだけ隔絶した時代はかつてなかったのではないでしょうか。この傾向はますます加速していくでしょう。農業や農村はその中で揺さぶられ続けてきているというのが、一面では事実です。そんな危機的状況だからこそ、青少年たちや学校の先生、栄養士の皆さんとこのような取り組みを丹念に続けていくことが、次の時代の農業を開いていくのかもしれません。信頼の感性を深めていきたいものです。
 ですがそのためには、今回のように、無茶々園を立ち上げ、支えてきた先輩たちやこの地域を長らく引っ張ってきた老人たち、さらに言えば、この石垣の段々畑を築き上げた、いにしえの偉人たちの功績に乗っかって話すばかりではいけません。僕たち若者には、この恩恵を全身で浴びて、感じて、その偉業をたたえつつも、さらに破っていくことが求められていくことでしょう。それが役割というものだろう。ここに生まれ育った者であれ、他所からやってきた者であれ、ここで暮らしていくことを決めたからには。
 やってやろうではないか。これだけやりがいのあることは、そうは見つからないぞ。「山海一體」「農漁循環」「都鄙共生」「国際連帯」、無茶々園の神様が言い残した四つの柱を、まずはそのまま信じて歩んでいこう。これを読む皆さんも、それぞれの立場で共にこの地域づくりを担っていってもらえれば、この上ない喜びです。というより、もとより参加者なのです。産直とは、地域文化をまるごと食べるということなのですから。無茶々園創設メンバーのひとり、片山元治氏は、明浜にやってきたばかりの僕に、そう教えました。僕はこれも、そのまま信じます。
 ああ、またここへ帰ってきてよかった。さあ、明日も段畑で汗をかいて、土まみれになろう。



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