夏3回笑う
〜美幸ばあちゃんの話 その2

上原若菜



 あなた知ってる? 一年の夏のうちに、3回笑うのよ。
 夏のうちに、3回“よそ行き”の服を着られるってこと。まずは7月15日の祇園祭。


子どもをあやしながら話す美幸さん


 この地区の祇園祭は、昔はお城だったところの跡にお旗を立てて、自分の家でお寿司を食べるくらいのものだったのだけど、最近はずっと盛大になって。門之脇(かどのわき)地区が総ぐるみになって、2年に1回、園芸大会をするのよ。あんな狭いところで。
 まずは夕方、子どもながらに春日神社にお参りして、それから祇園様にお参りするの。それが小高いところでね、そこへお参りに行くのに、“よそ行き”を着せてもらえるの。今で言うワンピースだけど、昔は「簡単服」って呼んでいたわね。これが嬉しかったのよ。普段は穴が開いたような服しか着てないんだから。
 縫える人がいるところなら自分の家で新調して、そうでないときは地区に必ず器用な人がいるから、そういう人に縫ってもらうのよ。
 それにしても、普段はどんな服を着ていたんだったかしら? Tシャツなんてものはなかったし、やっぱり簡単服だったわね。もちろん新調したのとは全然違うのよ。

 祇園祭が済んだら、今度は10日もしないうちに、和霊神社のお祭り。山家清兵衛(やんべせいべえ)の和霊神社、7月24日。宇和島のお祭りだけど、これは、もう、この地域の秋祭りに匹敵するくらい、大きな行事だったわ。ここら辺の人は、宇和島が昔、城下町だったから、あの辺りを「城下」って呼ぶことが多かったんだけど、もう、これが、子どもから年寄りまで楽しみにしていたんだから。一年に、城下に行く機会なんて他にはほとんどなかったんだもの。
 私の生家は網元だったから船があるんだけど、網船だから、ギィーっと言うような、戦国船みたいな感じのやつよ。それで人員の規制なんかない頃だから、これに地区の人が、船から落ちんばかりに乗り込んで行くわけよ、和霊様一泊旅行。あの漁船に、船の中で寝るのよ。何隻も漁師の網元が船を出して、そうして宇和島へ行くのよ。




昔の網船と漁の様子





狩浜のみかん山から
宇和島方面を見る


 それで、親からお小遣いがあるのよ。私の家は網元だったから、盆と正月に作業員の漁師さんたちにお金を渡すんだけど、ちょうどこの和霊神社のお祭りの時期だから、このときに一緒にもらうの。この地域ではお小遣いとかおひねりのこと「花(はな)」って言うけど、千円もらえる家なんかなかったのよ。それでもこれが、本当に、嬉しかった。滅多にもらえるものじゃないんだから!
 しかもこの小遣いは自由に使ってもいいっていう大金でしょう。これで何を買ったかって言うと、私の場合は毎年決まっていたのよ。まずは夏の扇子。子ども用の小さいやつね。次は風鈴。あとは残ったお金で買い食いよ。あ、あと、もうひとつ、水中花っていうのがあるんだけど、知っているかしら? 俳句にもよく使われているんだけど。
 水中花っていうのは、花の下の鉢におもりが付いていて、これを水の入った透明なコップにつとんと落とすと、こう、ふわぁーぁと傾きながら開くのよ。どういう風に作っているのか分からないけど、朝顔とか桔梗みたいな涼しげな花がいろいろあって、机や下駄箱の上に飾って、毎日眺めるの。これが、涼しげなのよ。ひと月もそのまま持つの。それでもやっぱり汚れるから、水も一応替えるんだけど、まぁ、ふた月は大丈夫。
 どこから日本へ渡ってきたものか知らないけど、これ買うのが毎年の癖になっているものだから、夏になったら探しちゃったのよ。でも、もう、置いている店はないわね。前に宇和島でよく探したんだけど、それに代わる品って言ったら、ビニールかプラスチックで作ったようなやつで、花も小さいの。まあ、これだったら水に浸してできないこともないけど、「あー、昔のものとは違う、違う」って思っちゃうものだから、もう飾らないことにしたの。
 見世物もあるのよ。サーカス、サーカスね。和霊神社の横に空襲で焼け野原になったところがあるんだけど、ここに大きなサーカスが立つわけ。動物も交ざって、ブランコしたりもするようなやつ。これを観に行ったのよ。その時の音楽が『天然の木』っていうやつよ。聞いたことあるでしょう? チンドン屋みたいな楽隊がよく弾く曲よ。あの曲で空中ブランコするんだから。


 そして夜はまた船の上で寝るのよ。宇和島の湾内の内港に停泊させたまま。だから男の人たちは映画や芝居を観に行ったりするのよ。
 ほとんどが家族連れ、子どもだけでも4、5人あるから、残った者は皆で船にごろ寝するの。それでよく覚えてるんだけど! 夜中に船べりからね、シッコしたらね、寝ぼけてジャボーンと海に落っこちたのよ。
 私じゃないよ! のぼるっていう男の子。それも、そこら辺は宇和島に来た船が全部、隣に渡れるくらいに引っ付き合わせて停泊しているでしょう? 南郡から来た漁師さんなんかは、何十本と旗を立ててやって来ている。そんな人たちが「そこへ落ちた! はっはっは」って。
 しかもこの海が、今とは全然違うのよ。「もろ捨てい」の時代、つまりごみは何でもかんでも海に捨てよって時代だったのよ。戦後しばらくそうだったのよ。だからそこら辺一帯、すごいのよ。夏だからスイカを買って食べるでしょう。そのスイカのカスやら、茄子やらバナナやら、カスやごみが浮いている海の中へ、バチャーンよ。まだぐうぐう寝ている人もあるのに、この音がすごかったわよ。


 食べるものも全部作っていくの。ご飯は竹の籠に入れて、これを船の上に張ったテントにつなぐと風が入るわけ。冷蔵庫のない時代には、こんなやり方もあったわけよ。あと饅頭もたくさん作ったわね。
 味噌や豆腐を持っていって、朝早くからお味噌汁作るおばあさんもいたし、出来たら皆で一杯ずつ分け合って食べて、本当に、楽しかった。うん、楽しかった。
 それから豆。大豆を煮てね、持っていったわね。腐らないように「くじゅな」の木の葉っぱを入れるの。苦味があるけど長持ちするのよ。あるいは梅を一緒に煮込むと風味も良いし、腐らないようになるのよ。だけど、漁師が多いから大豆なんてないでしょう。だからお百姓さんをしている人のところへ何か持っていって、大豆をもらいにいくのよ。
 しかもあれ、漁師さんって言ったら飲んべえだから、ずっと楽しみにしているわけ。この機会を逃すな、っていう感じで、お伊勢山の船着場から出たとたんに、木枠の桶に刺身作ったり、酢の物用の漁をし始めるのよ。酢の物だったら腐らないでしょう? 本当、飲んべえ。刺身や酢の物が出来上がったら、宇和島までまだ半分も越えてないのに、飲み始めるのよ。一大行事だったなぁ。

お伊勢山の麓で潮干狩りをする人たち



 “よそ行き”を着れるのは、最後はお盆。お盆にも着れるのよ。

 夏にね、3回着れるの。本っ当に、楽しみだった。


この文章は、2009年9月15日、上原若菜による美幸ばあちゃんへのインタビューの録音を元に、構成や方言などの言葉遣いを修正して、読みやすくまとめなおしたものです。

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